ビジネスパーソンにとって必要なスキルや、働く上で大切なことを、日本ではなく中東シリアで身につけることができた理由とは?手厚い新人研修よりも、手荒な放置プレーや追い込まれた状況がカギとなる。
大学卒業後、青年海外協力隊からマッキンゼーを経て起業した小沼大地氏が、シリアでの過酷な経験を通じて実感した「ビジネスパーソンの成長」について語る。
(撮影/宇佐見利明)
そこで得た貴重な経験と学びとは?
自分が誰にも必要とされない場所で
手にした成功体験
大学卒業後、僕は青年海外協力隊に参加した。当初の任務は中東シリアでの「環境教育」だった。ここではいろいろな経験をした。
まず「環境プロジェクトは前の責任者が1年半前に打ち切った」と言われ、任務の変更を余儀なくされた(マイクロファイナンス事業のモニタリングの仕事を手伝うことになる)。さらにシリアの方言の強いアラビア語がまったくわからない。やっとアラビア語に慣れた後には、まさかの現地で“失業”。そこから新しい配属先を自ら見つけ、首都ダマスカスでの職を見つけることに成功。ほかにも、たくさんの苦労を重ねながらも、どうにか最低限の現地貢献をすることできた。
こんな慌ただしいシリアでの約2年間だったが、ビジネスパーソンとしてのスキルや仕事をする上で大切なことは、すべてシリアで教えてもらったように思う。
青年海外協力隊に行くまでの人生では、僕は似通った価値観の集団の中で、何かしらの役割を明確に与えられて生きてきた。
それがシリアに行ってみると、自分という人間が誰にも必要とされていないという状況に身を置くこととなった。
そこで一度は絶望するものの、なんとかして自分を認めてもらわなければと、自分にできることは何かを探して、必死で行動を続けた。
その結果、周囲の人たちに対する小さな貢献を積み上げていって、周囲から少しずつ必要とされるようになっていった。そして、いつの間にか信頼を勝ち取って、やりがいを持って仕事をすることができるようになっていったのだ。
シリアという異国の地でそんな成功体験を積めたことは、周囲からの理解や期待がない状態でも決してあきらめないという、僕の起業家としての前向きさにつながっていると思う。
また、「働くことの目的」を自ら設定するという姿勢も、シリアで学んだことだ。
僕がシリアに行く前に日本で必死にやっていたのは、偏差値偏重の学歴社会の中で、とにかく勉強をして「いい志望校への合格」を目指すということや、部活でひたすらに練習をして「目標とする大会での優勝」を目指すということだった。もちろんそれはそれで大変で、そこからの学びも当然あったのだが、ある意味では、すごく楽な勝負をしていたという感覚もある。
目の前には誰かが決めたニンジンがぶら下がっていて、僕はそのニンジンを、決められたルールのもとに、食べられるようがんばっていればよかった。でも、シリアでの経験は、自分で目の前にぶら下げる「ニンジン」を設定するところから始めなければならなかった。それに、何もしていないときや怠けたときに叱ってくれる顧問の先生や上司もいない。また、プレッシャーをかけてくるライバルや同僚もいない。言ってみれば、完全に「放置プレー」の環境だ。
この「放置プレー」状態で道なき道を進む中で、悩みながらも自分なりに覚悟を決めて一歩一歩を歩んでいけたのは、僕にとってはとても大きなことだった。
正解がわからない中で進むのはすごく怖いことだ。でも、あるときから、どうせ決められた答えはないということにあきらめとともに気づき、自分が決めたことを正解だと思えるように、自分の覚悟したことを全力でやり切るという姿勢を、この青年海外協力隊の経験で僕は学ばせてもらった。