世界中で愛されるレストラン、NOBUで愛飲される日本酒「北雪」。創業142年の老舗でありながら常に革新的な酒造りに挑戦している。北雪酒造五代目の羽豆史郎氏に、NOBUとの出会いと、世界に日本酒を広める心意気をうかがった。(インタビュー ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

矢沢永吉がファンからプレゼントされた「北雪」が、
ロサンゼルスのノブ・マツヒサと出会った

――NOBUそして松久信幸さんご本人との出会いは?

これは『NOBU: ザ・クックブック』などに書かれている有名な話ですが、ミュージシャンの矢沢永吉さんがファンの方から「北雪」を一升瓶で2本もらって、1本飲んだらおいしかったのでもう1本をロサンゼルスのノブさんのご自宅まで持って行って一緒に飲んだのだそうです。ノブさんがご自分の最初の店、マツヒサをオープンした翌年、1988年のお正月だったそうです。ノブさんが「これは美味しい、気に入った!」っていうんで輸入することになったのが始まりです。マツヒサに日本から魚を輸入していた貿易会社からお話が来ました。そのころまだ僕はノブさんのことは存じ上げていませんでした。

――当時、「北雪」を海外で売るのは初めてだったのですか?

大吟醸をお燗してもいいじゃない! 美味しく飲めるなら羽豆 史郎(はず ふみお)
株式会社北雪酒造 代表取締役社長

1958年、北雪酒造(1872年創業)の5代目として新潟県の佐渡島に生まれる。1981年大学卒業と同時に北雪酒造へ正式に入社。蔵内地下貯蔵庫での音楽や超音波を利用した新しい熟成方法の導入や、小型のガラスタンクごとに注文を受けるオーダーメイド酒の発案、遠心分離機の導入など、伝統を大切にしながらも常にユニークで革新的な酒造りに挑戦している。2005年、代表取締役に就任。

いえ、アメリカからのオファーは初めてでしたが、ドイツとかイタリア、オーストラリアにほんの少しですが貿易会社を通して輸出していました。アメリカの日本料理店からも声をかけていただけたのなら出そうか、と。当時アメリカで販売されていた日本酒は、ほとんどが大手酒造メーカーさんの現地工場で製造されたものだったのです。

ただその時、ノブさんは貿易会社に「北雪酒造の酒は日本以外では僕の店でだけ飲めるようにしてほしい」と依頼して了承を得ていたそうです。僕らはそれを知らされていなくて、貿易会社から注文が来るままに出していたら、事件が起きます。ノブさんがある時、シカゴにチャリティ・ディナーのために出かけたところ、「なかなか手に入らない酒があるから飲もう」と言われ、出てきたのが北雪だったというのです。同じようなことがハワイでもあって、ノブさんは貿易会社に「よそには入れないって約束したじゃない」とクレームをつけた。

そこで困った貿易会社は「では、蔵元を呼びます」と、当時常務だった僕がロサンゼルスのマツヒサにお邪魔することになったんです。ちょうどニューヨークにNOBUがオープンした年、1994年のことでした。