山本三郎(やまもと・さぶろう)
麹町学園女子中学校・高等学校校長
1949年大阪生まれ。関西大学文学部卒業後、公立高校で2年間教諭を務めた後、75年に帝塚山学院へ。国語科教員として24年間、教頭を3年間、校長を9年間それぞれ務めた。4年間、学校法人帝塚山学院理事に就いたあと、2015年から現職。
憧れの東京でどん底からの脱出
――こちらの学校にいらして、何年たちますか。
山本 2015年4月からなので、もう7年目になります。前任校では校長を9年務め、その後、学校法人の理事に就いたため、麹町学園にお誘いを受けてからこちらに来るのが4年ほど遅くなってしまいました。私は大阪生まれの大阪育ちですが、“東京LOVE”なんです。
――それはまたどうしてでしょう。
山本 初めて修学旅行で東京を訪れたのは1964年、前回の東京五輪開催の年でした。そのときに東京タワーの展望台からの眺めに感動しまして、いつかは東京に住みたいな、という思いが65歳にしてかなったわけです。二人の娘も東京に住んでおりますし。
――来てみて、いかがでしたか。
山本 法人理事に就いて学校の財務を勉強して、会計が少し分かるようになりましたものですから、入学者低迷を辿っている女子校を浮上させる鍵を早期に見つけたいと、日々考えていました。不易と流行のウェルバランスを再構築して、選ばれる学校にしたいという一心でした。
――東京は、私学助成が手厚いですが、生徒数が少なければ「圏外」という評価にもつながりますね。
山本 理事長からは「生徒が集まる学校にしてほしい」と言われました。東京は私学助成でかなり恵まれているとはいえ、不安を覚えながらのスタートでした。
――あの頃は08年秋のリーマンショックの影響をまだ引きずっていて、特に女子校はどこも大変な状況だったと思います。
山本 校長の任期は1期2年だというので、急いで対応を始めました。4月1日の着任早々、1週間かけて全教員と面談しまして、16のプロジェクトチームに割り当てました。現状の課題を“共有”して、というきれいごとを言っている余裕はないので、全教員を巻き込んで急ピッチで改革を進め、1年間マルチタスクの準備をしました。
そのプロジェクトの一つに、アドミッションを含めた「高大連携」がありました。当初は東京の事情がよく分かりませんでしたが、4月から6月の間に東京の私立大学を実見し、学ぶ中でスーパーグローバル大学(SGU)創成支援の採択校に魅力を感じ、大学との学校間教育連携を結ぶことで、持続的・発展的な学びのスタイルを具現化したいと切に思ったのです。
――なぜSGUにこだわったのでしょう。
山本 文部科学省が14年に始めたばかりの事業で、これから本格化していくと考えたからです。国からグローバル改革の評価を得た大学に進学実績を得ることへの期待もありました。
――それが東洋大との高大連携につながるわけですね。
山本 東洋大学は、連携以前から本校で進学希望者が最も多い学校でしたので、根気よくお願いして16年5月に「学校間教育連携」を実現することができました。それにより、進学基準を満たせば、原則として全員が東洋大学に進学可能という「東洋大学グローバルコース」を、高校入学者を対象に設けることができました。
――そのときに、前任校での経験が生きたわけですね。