野口悠紀雄
今春闘は連合の第2回集計でも5.40%と前年同期に比べて高い賃上げ率だが、2022年以降を見ても大企業と中小企業など企業規模による賃金格差は拡大している。賃上げが売上価格への転嫁によって行われ、取引上強い立場にいる大企業の賃上げ率が高いからで今年も懸念は残る。

トランプ大統領は、「相互関税」発動に当たって非課税障壁も考慮の対象になるとして、日本の消費税を輸出奨励策だと批判している。しかしその考えには誤解が多い。そもそも世界の大勢が採っている国際課税の原則からいえば、アメリカが売上税を変更するべきなのだ。

日本がAI(人工知能)で立ち遅れているのは基礎研究や教育に十分な人材や資源を配分できていないからだ。米スタンフォード大学はAI関連学科の学生が大きな比重だが、東京大学では農学部の学生が農林業就業者数の割合に比べても高い。経済成長率が低下すると学問分野間の配分の変更が難しくなる深刻な問題だ。

AI(人工知能)分野での大学ランキングを見ると中国の大学が上位を占め、100位以内に49校が入る。在米のトップクラスの研究者も半分近くが中国の大学を卒業した人々だ。これに対して日本の大学はゼロ。製造業の人材育成が中心で国の予算の配分も大幅に立ち遅れている。

老朽化した社会資本の維持補修は「事前改修、予防保全」を行えば、事後保全の7割程度の費用で保全必要施設の9割程度を補修することができる。ただし最も重要なのは予算を増やすことで、リニアや先端半導体への助成などと社会資本保全の予算配分の優先度をきちんと判断する必要がある。

2024年の実質経済成長率はほぼゼロ成長になった。賃上げという望ましい事態が進行しているのに、なぜ成長率が低下するのか? それは賃上げが生産性の上昇でなく転嫁によって行われているからだ。このため実質賃金が上昇せず、実質消費が減少する。

GDPに対する投資割合の推移や国交省の試算によると、現存する社会資本のうち維持更新が可能なものは7割から8割程度と推計される。人口減少の下でコミュニティーの核である社会資本の全てを維持するのは不可能という厳しい現実を認識する必要がある。

埼玉県八潮市で下水道が破損し道路が陥没する事故が起きたが、2020年で耐用年数を超えた道路橋は30%、トンネルや港湾施設でも2割を占める。成長期に急速に整備された社会資本が今後、集中して加速度的に耐用年数を迎える。この維持補修は今後の日本で極めて重要で困難な課題だ。

ソフトウエアエンジニアの平均報酬を見ると、日本はトップのアメリカ西海岸地域の3分の1以下だ。企業の時価総額ランキングや大学ランキングも同様で日本が世界最先端の経済活動から取り残されていることが分かる。追いつくには高等教育への投資が重要だが、現実には予算が削減されている。

「物価が上がれば経済が良くなる」と日本銀行は金融緩和を続け、高賃上げの波及を物価目標達成の重要なメルクマールとしてきた。しかし、高齢者などの無職世帯は物価高騰の影響だけを受けて実所得が減少し消費を切り詰めている。物価上昇を金科玉条のごとく目指す政策が誤っていることを示すものだ。

春闘などでの高賃上げの下でも実質賃金は4カ月連続マイナスとなっているのは、賃上げが生産性の上昇を伴わず価格転嫁によって行なわれているからだ。賃金が上がっても物価はさらに上がる「悪循環」であり、日本銀行がいまの状況を「物価と賃金の好循環」として肯定する限り、石破政権が掲げる実質賃金引き上げは実現できない。

日本製鉄によるUSスチール買収計画での日米の対応には不可解なことが多い。バイデン大統領の禁止命令は政治的な思惑による不合理な決定だと思うが、日本製鉄が生産量の拡大にこだわっているように見えるのも時代遅れの発想のように思われる。なぜ買収を進めようとするのか、理解できない。

2%物価目標」を掲げて金融政策が続けられてきたが、2022年以降、消費者物価上昇率は日銀が目的としてきた2%を超えているにもかかわらず、日本は異常な低成長から脱却できない。これは物価上昇率引き上げを目標とする金融政策が根本的に誤っていたことを意味する。

「高賃上げ」や「物価と賃金の好循環」が掲げられる中で名目賃金の伸びは著しいが、実質賃金はほとんど不変だ。賃上げ分が価格に転嫁され物価を上昇させているためだ。実質消費は増えず、むしろ「悪循環」が懸念される。この事態を避けるには生産性を上昇させるか、企業利益を圧縮するかしか方法がない。

日本人の英語能力は直近の国際機関の調査では世界92位だ。この言葉のギャップが国際競争力低下や経済の低生産性の一因になっていることは間違いない。これを克服する強力な手段として期待できるのがChatGPTだ。英語の勉強を進め、外国語文献の要約翻訳を簡単に手に入れることができる。

日本経済停滞の最大の要因は「近視眼的思考」による政策の失敗にある。生産性が向上しないことが経済低迷の一番の原因とわかっていながら、金融緩和や円安誘導など当面当座の対応で糊塗(こと)してきた。「103万円の壁」見直しもその典型だ。生産性向上には高度人材の育成が急務だ。

9月勤労統計調査でも現金給与総額は前年比2.6%と堅調だが、最近の賃金と物価の上昇は望ましい変化だと一般に考えられている。しかしいまの賃上げは消費者物価への転嫁、つまり消費者の負担で実現している。生産性上昇が伴わない賃上げは物価と賃金の悪循環をもたらす危険がある。

所得税の基礎控除引き上げの議論が本格化するが、所得税の負担率はこの数年間に急上昇したものの、長期的に見ると1990年代から2010年ごろまでは低下している。このところ必要性が希薄なバラマキ減税が実施されてきたことなども考えると、いまの時点で所得税の調整が必要なのかは検討の余地がある。

石破政権との政策協力で、国民民主党が「手取り収入を増やす」として求める所得税の基礎控除引き上げの主張は正しいのか。ここ数年、賃金上昇などによって「自動増税」になっていることを考えると調整は必要だが、問題は所得税制のどの部分について何を基準にどれだけの減税を行なうかだ。

米国はなぜ日本より豊かなのか?コロナワクチン開発の速さを見れば納得するしかない
コロナワクチン開発で示されたアメリカの「強さ」の理由は、世界各国から優秀な人材を受け入れ、能力を発揮できる機会を与えてきたことにある。その背景のひとつに、ナチの劣等民族根絶政策を受け、優れた科学者がドイツや近隣諸国から逃げ出した過去があった――。本稿は、野口悠紀雄『アメリカはなぜ日本より豊かなのか?』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。
