
上杉 隆
第140回
きょう(9月1日)、民主党代表選が告示された。今回の小沢一郎氏の出馬に至るまでの党内の混乱はまさしく「茶番」であった。その因は主に、鳩山由紀夫前首相の「伝書鳩」のような振る舞いにある。

第139回
総務省の「今後のICT分野における国民の権利保障等の在り方を考えるフォーラム」に出席。先月の関西テレビ「ニュースアンカー」における、野中氏による筆者への「名誉毀損事案」についてBPOの見解を聞いた。

第138回
終戦記念日、今年も靖国神社に参拝に行った。1999年以来、11年連続となる。菅内閣の閣僚が全員参拝を控えたためか、政治的な騒動も消えたようだ。静かな参拝を望むという点では、靖国側の求める状況に近づいたともいえる。

第137回
7月28日(水)、関西テレビの情報番組「ニュースアンカー」で野中広務元官房長官が、筆者に対する的外れな批判を行ったことは、前回の本コラムで述べた。その後野中氏は、事務所を通じて、自らの発言を訂正してきたが……。

第136回
永田町を取材していると時々、理解不能な人種にめぐり合うことがある。その種の人々は時に微笑ましくもあり、時に呆れてしまうこともあるが、まぁ、いずれにせよ、同じ人間のやること「変人」ぶりに驚いてもいられない。

第135回
官房機密費問題がこれほどまでにマスコミにおける「タブー」だとは正直、想像の範囲を超えていた。しかしこの問題に気づいた少なくない良心、とりわけ既存の記者クラブメディアで活躍している人々が声を上げ始めた。

第134回
参院選の結果、与党の過半数割れが確定し、国会は再び衆参のねじれ状態になりそうだ。新聞やテレビも総じて「ねじれは問題」というスタンスだが、筆者は2007年の夏の参院選から一貫して「ねじれ国会」歓迎派である。

第133回
先週の本欄の反響の大きさに驚いている。日本代表は敗退したが国内マスコミはお祭り騒ぎであった。メディアの仕事はファンと一緒に感動するのではなく、試合を通じて「感動」を伝えることにあるのではないか。

第132回
日本が敗れた。朝の情報番組を観れば、司会者やコメンテーターが口をそろえてこ「感動をありがとう」「日本代表にお礼を言いたい」。一般人ならまだしも、スポーツ報道を扱うメディアの人間にしては、またずいぶんと安上がりに感動するものである。

第131回
きょう、全米オープンゴルフの取材から帰国してみると、日本は相撲報道一色になっていた。それにしても、新聞やテレビの報道はあまりにひどすぎる。あたかも、この賭博事件が、稀にみる重大極悪犯罪の発生のような扱いである。

第130回
筆者は現在、米国カリフォルニア州ぺブルビーチリゾートに来ている。どのメディアもトップニュースは同じ、メキシコ湾での原油流出事故一色である。米国の危機は深刻だ。いよいよ万策も尽きようとしている。

第129回
菅直人内閣が正式に発足した。国会議員わずか4人の社民連から政治人生をスタートさせ、少数野党の悲哀を味わいながらも、菅は首相になるという夢を一度もあきらめなかった。

第128回
きょう(6月2日)、鳩山首相が辞任した。そして夕方のぶら下がり会見でこう語った。「次の総選挙には出馬しません」。残りの首相任期を全うして、首相公邸から辞してもらいたいものだ。

第127回
夏の参院選からインターネットを利用した選挙活動が解禁されるという。とはいえ、その内容は限りなく不十分であり、諸外国と比較しても恥ずかしいことこの上ない。とくに標的となったのはツイッターである。

第126回
野中広務元官房長官が番組で暴露してからすでに1ヵ月経った。評論家やコメンテーター、新聞の論説・解説委員、記者クラブ所属の記者たちにまで官房機密費が流れていた、という信じがたい疑惑だ。

第125回
普天間移設問題が最悪の形で決着しようとしている。鳩山首相自ら設定した期限が5月末。おそらく来年か再来年の5月でない限り、公約実現は不可能であろう。沖縄県民はもはやこの鳩山首相の公約に期待することを止めた方がいい。

第124回
鳩山首相がついに沖縄入りした。結論から言えば、結果は散々であった。もはや多言を要さないだろう。何らかの形で政治責任を取らざるを得ず、窮地に立たされたのは疑いない。

第123回
4月19日「記者会見・記者室の完全開放を求める会」が開催された。筆者は呼びかけ人のひとりであったが、当日は欠席した。11年間この問題を繰り返し追及し、同じことを述べてきたことに疲れてしまったのが何よりの本音なのだ。

第122回
「文藝春秋」は、時の権力と対峙するという点において筆頭格のメディアであった。だが最近は一方の政治的な意見ばかりを扱い、世の中に反対意見のあることを事実上無視してしまっている編集パターンが少なくない。

第121回
平沼氏といえば、保守政治家の代表格である。ところが今回、氏の選んだ「仲間」は、まったく意外な人物であった。思想的な部分では対立関係にあったといってもいい与謝野馨元財務大臣、その人である。
