「労働神事説」VS「労働懲罰説」

 ひろさちや氏は、著書の中で、日本人の意識がこうなったのは弥生時代からではないかとおっしゃっています。

 日本に稲作が伝わってきたのが弥生時代です。
 稲の原産地東南アジアでは、2毛作、3毛作が当たり前。
 放っておいてもできたのですが、日本は稲作の北限地帯、それに加えて高温多湿!稲を育てるうえで、日本では雑草と虫との戦いがあります。
 草取りと虫とりをしないと稲が健康に育ちません。
 つまり、働かないと収量が激減してしまうのです。

 多収で味がよく、日持ちのする米を育てるのは、当時の国家プロジェクト。
そんなところから働くことは美徳、働くこと自体が神に仕えることとなっていったようです(労働神事説)。
 実際、神社の神事はすべて稲作が中心となっていますよね。

 それに対して、ユダヤ教やキリスト教の根底に流れているのは、労働懲罰説です。
 人間は、本当は働かなくてもよかったのに、アダムとイブが原罪を犯したために、額に汗して働かなければならなくなったという考えで、これが欧米人の労働観です。

 働くこと自体に意義を感じているのが日本人。
 そのために、自分の仕事が終わっても他の人が残っているとなんとなく帰りづらい。
 それに対して、できるだけ労働したくないとなると、時間短縮を目指し、それが効率化につながります。

 稲作をする人が少なくなった今でも、その精神だけが連綿と引き継がれている日本人。
 その意識がブラック企業、ブラックバイトを生み出すバックボーンになっているのかもしれません。
 長年培ってきたものはすぐには変えられませんが、この精神性がこうやって生まれてきたのかもしれないと意識できるだけで、見方が変わってきます。

 楽することはよいこと。
 NZでの経験のおかげで、私も仕事への向き合い方が変わりました。