グローバリゼーションのトリレンマとは?

ロドリックは、こうした三つの選択肢を、次のような図として示しています。

問題は、この三つの選択肢(トリレンマ)のうち、どれが望ましい選択なのか、ということです。
(1)はグローバルな連邦主義をめざし、国家主権を大きく削減するものです。
(2)はネオリベラリズム(新自由主義)が推し進めている政策ですが、これが可能なのは「民主主義を寄せつけない場合だけ」とされます。
これに対して、(3)はハイパーグローバリゼーションを犠牲にする政策ですが、民主政治の中心的な場として国民国家を残すわけです。

では、ロドリックは、どの選択肢を採用するのでしょうか。結論的に言えば、彼は(3)を採用し、その政策を「賢いグローバリゼーション」と呼んでいます。

私の選択を言わせてもらうと、民主主義と国家主権をハイパーグローバリゼーションよりも優先すべきだと思う。民主主義は各国の社会のあり方を守るための権利をもっており、グローバリゼーションの実現のためにこの権利を放棄しなければならないのであれば、後者を諦めるべきなのだ。
この原則は、グローバリゼーションの終わりを意味するものだと思うかもしれない。決してそうではない。(中略)われわれは最大限のグローバリゼーションではなく、賢いグローバリゼーションを必要としている。

たしかに、(1)のグローバルな連邦主義は不可能に見えますし、国家の多様性を無視する点で望ましくないでしょう。また、(2)のネオリベラリズム的政策は、世界的な金融危機や格差拡大など、グローバリゼーションに暗い影を落としています。しかし、そうだとしても、(3)「賢いグローバリゼーション」はいかにして可能なのか、あらためて検討する必要がありそうです。