つじつまが合わないときに現れる、
恐るべき「空気」とは?

 旧日本軍は、インパール作戦のように計画段階で必要不可欠とされた前提条件を、実施の段階までのプロセスで一切無視することが何度かありました(牟田口司令官は、武器弾薬がなければ石を拾って投げて戦えと訓示した)。

 弾薬や食糧の補給という現実的な問題を解決できないとき、日本軍ではより勇ましい(無謀な積極論)構想が躍り出てきて、重要な詳細を無視させました。

 牟田口司令官は、第一五軍司令部を訪れた稲田正純南方軍総参謀副長に、「アッサム州かベンガル州で死なせてくれ」(『失敗の本質』より)と語っています。

 もう一つは、「空気」を押し切るために間違った正論が飛び出してくることです。牟田口司令官は、インパール作戦に関連した日本軍の部隊がビルマ方面の基地から国境付近までの進出を遅らせていると「あいつらは敵が怖いから前線に来ないのだ」という主旨の非難をします。ところは現場部隊を指揮する側からすれば、武器弾薬と食糧調達の目途がついていないのだから、部隊を先へ進められないのは(部隊運営上)当然のことでした。

 悪しき形で使われる空気は、本質的な事項を検討させない圧力をかけていくことに使われています。長期的な方針もないのにいきなり遠大な目標を掲げたり、いっけん正論に見える(実際は誤っている)議論をぶつけてくることで、現実問題を無視させる。

 このような空気は、旧日本軍の敗北だけでなく、戦後多くの大企業のビジネス不祥事でも指摘されています。いまだに私たち日本人は、悪しき空気に騙され続けているのです。

悪しき空気をつくる3つの要因と、
正しい方向転換をはかる4つの要素

 悪しき空気が醸成される要因には、「人の問題(人事制度)」、組織全体で適用されている「評価基準の問題」などが指摘されています。しかし、建設が進んでしまった豊洲新市場では、「サンクコスト」のジレンマも今後急速に問題視されていくことになるでしょう(すでに移転延期費用については、メディアで指摘され始めています)。

 拙著『「超」入門失敗の本質』では、過ちを認めるプロジェクトの正しい方向転換を妨げる4つの要素を列挙しています。

(1)多くの犠牲を払ったプロジェクトという現実(サンクコスト)
(2)未解決の心理的苦しさから安易に逃げようとする意識
(3)建設的な議論を封じる誤った人事評価制度
(4)「こうであって欲しい」という幻想を共有すること

 サンクコスト(Sunk Cost)は、日本語では埋没費用といわれます。すでに投下してしまい、回収が不可能になった費用のことを差します。プロジェクトを途中まで進めて、それを万一中止したときには、それまでの費用は回収することができなくなります。

 一方で、サンクコストを意識することでさらに大きな失敗を生み出す例も多いものです。典型的な事例は、1960年代終わりに計画された超音速旅客機のコンコルドです。開発費用が当初見込みを大幅に超過することが、プロジェクトの実施後に判明し、さらに大型旅客機に需要がシフトしたことで、「計画よりも売れないことがほぼ確定」してしまいます。

 このようなマイナスが途中で判明したにもかかわらず、計画は継続されました。それはサンクコストを惜しいと考えてしまったからです。

「極めて否定的な結論を「否定して」計画は続行されました。膨大な追加資金が投入され、たった一六機を国営航空会社向けに納入後、一九七六年には製造中止になりました(途中で指摘された通り売れなかった)」(『「超」入門失敗の本質』より)

 築地移転の問題で例えるなら、すでに投下してしまった建設費用や移転延期費用を惜しむことで、汚染土壌に何ら対策を施さないで豊洲への移転が強行されてしまうことでしょう。このような行動は、「汚染土壌になにもせずとも、将来にわたって問題は発生しないだろう」という、こうあって欲しいという共同幻想があれば成り立ちます(ただし、この賭けの結果は未来にしか判明しない上に、調査結果からも分が悪い)。

 もちろん、様々な選択肢があり、同時に築地の移転問題は重い決断です。一つ言えるのは、食品を扱う卸売市場として、信頼を高めた形での決着が理想だということです。

 そのためにあえて、汚染土壌の対策に追加的な高額費用がかかるとも、移転を実施するべきか否かです。築地市場は東京を含めた関東の台所として長く機能し、国内・海外からもその食の美味しさを求めて多くの観光客が集まっています。

 安倍政権も、海外からのインバウンド(訪日旅行客の需要)を観光政策として重視しており、日本の食の魅力は大切な要素の一つのはずです。食の魅力は美味しさとともに安全性や信頼性にあり、それを高めることも市場移転の重要課題のはずです。

 誤った空気を助長する共同幻想に左右されず、市場移転問題を解決できるのか。小池新都知事の手腕次第で、単に行政組織だけでなく、ビジネスパーソンにとっても良い手本になるか、新たな悪い見本となってしまうか。その決断と対策にかかっているといえそうです。