番組では、自分の引きこもった経験をさらけ出して、グループで音楽制作の会社を興し、ライブイベントを行う「アルファミリア」の音楽活動が紹介された。また、社会から距離を置いた人たちがネットを通じて集まり、シェアハウスで共同生活。余裕のある人や遊びに来た人がお金を入れ、皆の共有物を買ったり、お金のない人に使ってもらったりする「ギークハウス」の取り組みは、「お互い傷つけないよう、心もお金も共有して緩くつながっていく」という工夫が興味深かかった。

 社会から一旦、離脱してしまっても、いろいろな形で社会や仲間とつながっていく居場所があってもいい。ただ、いまの日本には、そんな居心地のいい居場所は、まだあまりにも少ない気がする。

 最後に読まれた、次の40代男性のメールは、非常に重要な問いかけに思える。

<一時的に休んでも許される社会になれば、逆に復帰しやすくなる。私の身近で自殺した人は最後まで働いていた。自殺するくらいなら、周りに打ち明けて、引きこもってくれればよかったのに…>

 本人や家族の置かれた状況は、筆者が取材を始めた13年前と、まったく変わっていない。最近、カツカツの親の年金に頼って生活する壮年者が数多くいることもうっすらとわかってきた。

 社会から離脱することは、「家の恥」だという思いもあるのだろう。そのことに罪悪感を持つ人たちほど皆、誰にも相談できず、社会とつながれないまま、地域の中で息を潜め、孤立している。

 実際、時間等の都合で話ができなかったが、これまで国の支援策は、概ね34歳までの若年者支援だった。しかし、もはや「引きこもり」は若者の問題ではない。実は、壮年者や高年齢化した人たちの対策こそ、より取り組まなければいけないのではないだろうか。


発売中の拙著『ドキュメント ひきこもり~「長期化」と「高年齢化」の実態~』(宝島社新書)では、このように、いまの日本という国が、膨大な数の「引きこもり」を輩出し続ける根源的な問いを追い求め、当事者や家族らの語る“壮絶な現場”をリポートしています。ぜひご一読ください。