「MOTTAINAI」と「LOHAS」

 それにしても、ふと思うことは、もしあのバブル期に東京オリンピック招致を思い立ち、同じプレゼンテーションを行っていたらどういう結果になっていたかという、夢想ともいうべき仮の思いである。

 あの時代にこの度のような内容のプレゼンテーションは、間違っても行っていないであろうが、もしそのまま同じプレゼンテーションを展開していれば、という仮の話である。
 結論は明白である。招致は失敗していたであろう。

 この場合、招致に必要な裏金のことなど他の条件は除外する。
「おもてなし」プレゼンテーションは、時代の気分をそのまま反映して現出したものである。

 そして、時代の気分とは突如表われるものではなく、地面からじわじわと水がにじみ出てきて、それが蒸発し、ゆっくり時間をかけて社会全体を覆っていくようなものであると感じている。

「おもてなし」が登場した背景の一つとして思い至る、同種の日本語がある。

 それは、「おもてなし」以前に世界に知られた「もったいない」である。

「おもてなし」より遥かに色濃い和の精神に富み、微妙に英訳し難い「もったいない」という言葉を世界語にしたのは、平成十六(2004)年度のノーベル平和賞受賞者故ワンガリ・マータイ女史であった。

 ケニア人である彼女のノーベル平和賞受賞は、アフリカ人女性としては初めてのことであった。
 彼女が、「もったいない」という日本語に出逢ったのは、平成十七(2005)年、京都議定書関連行事のために来日した時だとされている。

 この言葉のもつ奥深い意味に感銘を受けた彼女は、国連の女性の地位向上委員会に於いて出席者にこの言葉を唱和させ、「MOTTAINAI」キャンペーンを展開した。

 当の日本人が、ほとんど使わなくなっていたこの言葉は、ケニア人女性によって一躍脚光を浴び、一部の日本人の間でも蘇ったのである。

 注目すべきことは、彼女のノーベル平和賞の受賞理由に、「民主主義と平和への貢献」という平和賞の常套(じょうとう)理由と共に、いや、それ以上に「持続可能な開発への貢献」が明白に指摘されたことである。

 これ以降、世界中で「持続可能社会」への取り組みが時代のテーマとなっていくのだが、我が国でも「LOHAS」という言葉が流行(はや)ったことは記憶に新しい。

 ただ、平成日本では、こういう言葉すら商標登録してひと儲けを企む企業がすぐ現れるのである(さすがに、今は自由化されている)。

 同じように流行った、エコやスローライフ、癒し、それ以前の有機栽培などという言葉は、すべて「もったいない」の系譜に連なるものだと理解していいであろう。

 今更いうまでもないが、「LOHAS」のLはライフスタイル、Hは健康、そして、SはSustainability(持続可能)を表わす。

 つまり、この言葉、或いはムーブメントは、現代の人類が「近代工業社会」=「規格大量生産社会」で慣れ親しんだ今の生活スタイルを続けるならば、人類社会=地球は持続が不可能になるという前提に立っているのだ。