大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、ドル・ショックがなぜ起きたのか、そして国際通貨制度の変遷について改めて考える。(坪井賢一)
1960年代末の世界貿易で
“もう1つの決済通貨”だったポンド
ドル・ショック(1971年8月)がグローバリゼーションの最初の号砲だった、と連載第15回で紹介した。では、ドル・ショックはどうして起きたのか。どうして米国は金とドルとの交換を停止し、戦後ブレトンウッズ体制を崩壊させたのだろうか。
日本の高度成長(1955年-1971年)が進むなか、戦後の固定相場制度は動揺していた。主として、戦前の英国、戦後の米国というアングロサクソン経済覇権国家の経済力が落ちていたからである。
連載第15回で、国際通貨制度の変遷を整理してみた。逆引きしてみると、以下のようになる。
① 1973年から現在=変動ドル本位制(基軸通貨はドル)
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② 1971年12月-1973年2月 スミソニアン体制(固定ドル本位制) 1ドル=308円
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③ 1971年8月-1971年12月=変動ドル本位制(金との交換停止)
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④ 1950年-1971年8月=固定ドル本位制(ブレトンウッズ体制) 1ドル=360円
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⑤ 1879年-1913年=国際金本位制(基軸通貨はポンド)
各国は準備通貨として国際的な決済手段である基軸通貨を必要とする。また、貨幣の価値を裏付けるものとして金を準備する。
①段階の現在、金との交換による価値保存は行なわれていないが、それでも金準備に勤しむ国が多いのは、⑤から③まで、約100年間にわたって金との交換によって貨幣の価値を担保する金本位制(戦後は金ドル本位制)が続いていたからである。
国際的な決済手段となる基軸通貨は、⑤段階では英国ポンドであった。第2次大戦後②段階以降は米国ドルに変わる。基軸通貨は世界最強の経済大国の通貨になるのは必然であろう。