波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載ではいち早く話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。
フレックスファーム創業──[1991年6月]
プロレス道場がはじまって約三ヵ月たった1991年6月末、僕は六年と少々勤めた日本IBMを退職した。いよいよ念願の独立だ。
一人目の息子・優に続いて、二人目の息子・涼が生まれたばかりの船出だったが、妻の若菜には事前に相談しなかった。思い立ったが吉日で、僕は走りはじめるとまわりがまるで見えない猪武者のようになってしまう。それに、若菜の天然ぶりも度を超えていた。結婚した時に僕の通帳とカードを渡したら、わずか一ヵ月でそこにあったお金をすべて使ってしまった。驚いて理由を聞くと、しょんぼりとして「よくわからない」と言う。その事件以来、家のお金は僕が管理することになった。悪気はかけらもないが、お金の価値も労働も知らない根っからのお嬢様なのだ。
帰宅後、「今日、会社辞めてきたよ」と報告すると、若菜はとくに驚いた様子もなく、「あら、そうなんだ」とだけ言って笑った。
フレックスファームという社名は、当時世界的に大ヒットしていたアルビン・トフラーの著作『パワーシフト』(中公文庫)から拝借させてもらった。
「フレックスは『柔軟な・しなやかな』、ファームは『しっかりとした・会社』。反対の単語をつなげてつくった造語で、これからの組織のあり方を表しているんだ」
僕は出資者となった仲間の五人に説明した。一般的な会社組織は、経営者を頂点としたピラミッド型で、上からの統制によって管理されている。それは組織の論理が個人の自由を大きく制限する村社会であり、僕はそこに息苦しさを感じていた。未来の組織は、自立した個人を中心としたものになるはずだ。ボスが一方的にコントロールするのではなく、組織のメンバーそれぞれが才能を持ち寄り、相互信頼のもとでコラボレーションするフラットな組織。僕はみんなに熱く語りかけた。
「誰かが一方的に命令するのではなく、みんながプロの技を繰り出して、全体としてより高い次元を目指す。ジャズの即興演奏のような組織がつくりたいんだ」
オフィスは世田谷の三軒茶屋にある月八万円のワンルームマンションを借りた。八畳ほどの大きさで、真ん中には飾りっけのないダイニングテーブルが一つ、小さな木の椅子が四つというとてもシンプルな部屋だった。会社を辞めてオフィスに常駐するのは僕ひとり。だが、週末になるとヤツらがやってきて賑やかになる。
財務的にも好調だった。なにしろプロレス道場の初月売上は約1000万円だ。その後ペースは落ちていったが、それでも番組は堅調に収益を稼いでくれた。そこに僕が副業としていたシステム開発の収益も加わり、収支は初月から黒字を計上した。
それにも増してうれしかったのは、真の自由を得られたことだった。
夏場でもスーツとネクタイを着用するのが当たり前の時代だ。毎日大汗をかきながら満員電車にゆられ、会社に着く頃には疲れ切ってしまう。何を着るかは僕の自由だし、大切なことはいい仕事をすることだ。何事も自分の頭で考えて、信念にしたがって生きたい。それは僕にとって一番大切な価値観だった。