波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載では話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。
テクノロジー・ベンチャーとして復活──[1996年4月]
残った社員の多くは技術者だった。フレックスファームは原点に立ち返り、テクノロジー・ベンチャーとして復活を果たす、僕はそう心に誓っていた。くよくよ悩んでもなんの解決にもつながらない。そんな時間があるのなら、明日を切り拓くイノベーションに専念するのだ。
時代も僕たちを後押しした。ウィンドウズ95の爆発的ヒットで、普通の人がインターネットに触れはじめた頃だ。僕たちは自社の音声応答システムに「ミスタークレバー」という新たなブランド名をつけ、インターネットを組み合わせた新しいプロダクトの開発に着手した。
1996年4月、電子メールが到着したことをポケベルに知らせ、電話からアクセスすると音声で読み上げてくれるサーバー「電子Q便」を発表した。インターネットの電子メールサーバーと自社音声応答システムを連携させ、音声合成技術を組み合わせた革新的なプロダクトは話題を呼び、「日本経済新聞」にも大きく取り上げられた。
iモードはもちろん、SMS(ショートメールサービス)も電子メールもない時代に、電子Q便を導入すれば、どこにいてもメール到着が通知され、電話やFAXからその内容を確認できる。世界的に見ても類のない製品で、バイク急便を運営する企業などから受注が舞い込んだ。
また、僕たちが得意とする音声応答テクノロジーを新たに規制緩和された分野にも適用し、FAXの通信コストを削減する仕組みを開発した。私企業が保有する専用回線との一般公衆回線と接続する「公専公接続」の解禁に伴い発表したのが「インターFAX」だ。
この新製品は、NTTの公衆回線網部分をインターネットで代用することで、遠隔地間でのFAX送信コストを大幅に削減するもので、画質もまったく同等だ。このプロダクトも「日経産業新聞」の一面トップに取り上げられて話題となる。のちにNTT子会社に採用され、ビジネスにも大きく貢献することになった。
さらにイノベーションは続く。開発のマンパワー不足をカバーするために、僕たちは「バーチャルスタッフ」システムを自社開発し、インターネットを通じて自宅で働ける人々を募集した。クラウドソーシングの先駆けとも言えるこのサービスは、在宅で働ける人と在宅でこなせる仕事をマッチングする仕組みで、申し込みから面接連絡、面接結果、業務実績管理まで、シームレスに管理できる情報システムを構築した。
希望者はインターネットを通じて、自分自身のスキルや連絡先を登録する。案件依頼は必要なスキルを持つ希望者に配布され、希望者は案件ごとに担当者とコンタクトをとる。双方が合意に至れば、個別に業務委託の契約を行うという流れだ。
この先進的な取り組みは評判を呼び、広告費をかけることなく、約6000名もの在宅エンジニアが集まった。他社にはない、フレックスファーム独自の技術パワーの源泉ができたのだ。汎用機のエンジニアからウェブデザイナーまで多彩なスキルを持つ技術者が中心となり、一流会社に在籍するSEも名を連ねた。仕事の成果は社内で共有され、高い成果を出した技術者はリストアップされる。優秀だった技術者のうち数名は、のちに社員となって会社を盛り立ててくれた。
フレックスファームの復活劇には、営業チームの熱意も一役買っていた。なんのツテもない会社の代表電話にいきなり電話し、「とりあえず話を聞いてもらえませんか」と言って、なかば強引に相手の懐に飛び込んでゆく。「社長、断られてからが営業ですよ」。岩郷氏の口癖が、いつの間にか彼らのものとなっていた。しかし、彼ら営業チームがわずか数カ月で複数の上場企業から仕事をとってきた時は心底驚いた。成約に至るまで千三つともいわれるテレアポ営業で、この成果は奇跡に近いものだった。
ある日、独立系のシステムインテグレーターから福田のもとに電話がかかってきた。
「御社の保坂さんが来ていてねえ。言ってることはよくわからないんだけど、発注したいから説明に来てくれますか」
なんと、そのお客さんは保坂くんの熱意にほだされ、話の中身もよく理解することなく取引しようと思ったという。数百万円もする企業向けの音声応答システムだった。先進技術を支えた陰の主役は営業チームだった。彼らの奮闘によって、フレックスファームは地の底から甦りつつあった。