現実そのものに関心を向けるより、
向き合う現実を選ぶべき
現実とされるものには注意を向ける価値があるように見えます。
「それは本当なんだから記録したほうがいいのでは?数えたほうがいいのでは?人に伝えたほうがいいのでは?」
望まないのに現実だからという理由で騒ぎ立て、現実感をさらに補強するべきでしょうか?
あなたの答えはいつも煮え切りません。
「それが現実だから、そうするのです。誰かがそうしたから、私たちもそうするのです」
現実そのものではなく、その現実をどう感じるかに関心を向けてはどうでしょうか。
つまり、「気分がよければ、そこに関心を向けます。気分が悪ければ、関心を持ちません」。そう言うと、「現実と向き合うべきだ!」と返してくる人がいます。
そんな人には、こう言い返しましょう。
「現実とは向き合っています。常にそうしています。向き合う現実をより慎重に選んでいるだけです。
どんな現実と向き合っていようと、どんな現実について話したり、考えたり、思い出したりしようと、それが自分の現実になると理解し始めたからです。
私は自分の人生経験にどんな現実を再現させるかにこだわるようになりました。現実は自分で創造できると気づいたからです。
私は現実を創造できます。しかも創造する現実を選べるのです」
場所は変えずに、
思考パターンを変えればいい!
ジェリーとエスターは、テキサス州オースチンのホテルで何度もセミナーを開いていましたが、そのホテルは彼らの予約を毎回、忘れるようです。契約書を交わし、当日エスターが電話で確認しても、ホテルに着くと受付の女性が毎回あわてた様子で応じるのです。そして、セミナーの準備でも必ずひと悶着ありました。
エスターが言いました。
「別のホテルを探したほうがよさそうね」
それも一案ですが、どこへ行こうと思考の習慣とパターンはどこまでもついて回ります。