「アナリストの評価」は
メディア露出に依存している
レポートの「本数」のほかに、アナリストが重視するのが、メディアへの露出である。経済紙やビジネス誌、ウェブメディアやテレビ番組に出演して、コメントをする機会が増えれば、当然ながらそのアナリストの影響度は高まるし、所属企業のブランド認知も進む。さらに、組織に所属するサラリーマンとして、その後のキャリアステップを考える際にも、メディアへの露出を高めて、「顔」を売っていくほうがプラスの影響が大きいのだ。
こうした「著名アナリスト」になるうえで重要なのは、的確な予測をできるかどうかではない。投資家だけでなく購読者や視聴者に「わかりやすいと感じてもらえる筋書き」をつくれるか、さらにメディア側の意向に沿った発言ができるかがモノを言う世界である。
だからこそ、アナリストたちは予測にしっかりとした理論的背景があるかどうかはさほど重視せず、「リスクオフによって安全通貨・円が買われて円高になる」などといった、マスコミ好みの「もっともらしいストーリー」をつくることに注力するのである。
私は、現在、外資系運用会社のマーケット・ストラテジストという立場にあり、同僚らと議論を繰り返しながら、最終投資家がいかに儲けられるかをサポートする投資戦略を立案する立場にある(難しいがやりがいがある仕事だ)。
つまり、現在の私は投資家側のポジションにもあり、さまざまなアナリスト/エコノミストたちのレポートの「ユーザー」でもあるわけだ。日頃から膨大な数のレポートに目を通していると、アナリストたちの間にもかなりのレベル差があることに気づかざるを得ない。まさに玉石混交といった感じだが、大半を占めるのは「石」であるし、時間的余裕も限られているので、すべてをじっくり読んでいるわけにはいかない。そうなると、どうしてもメディア露出が多い人のレポートから優先的に目を通すことになることも少なくないのだ。
もちろん、プロの投資家たちは特定のレポートだけを鵜呑みにすることはなく、多数のシナリオ・分析を収集したうえで、自分なりの投資判断を下していく。そうだとしても、やはりメディアに露出しているアナリストのほうが、レポートを参照してもらえる機会は多いだろう。アナリストとしての影響度を高めるうえでも、メディアに出ることは重要なのである。
私はこれまで約20年間にわたって金融業界に身を置き、米・欧・日の証券会社を含めた複数の会社を渡り歩いてきた。だからこそ、アナリストという人種がどういう考え方をしながら仕事をしているのかはよく理解しているつもりだ。
さらにいまは、さまざまなレポートを横断的に参照して、それぞれの経済分析・予測の価値を見極めていくマーケット・ストラテジストの仕事をしているので、そうした観察材料にも事欠かない。そうなると、社内政治やメディア露出に注力し、経済分析・予測の精度を高めようとしない「なんちゃってアナリストたち」の存在は否が応でも目に入ってくるのである。
社内的な評価制度やメディアとのもたれ合いの構造を考えると、彼らの行動に合理的な側面があるのも事実だ。彼らも一人の経済人として、自分の利益を最大化する振る舞いをしているという意味では、一方的に批判するのはフェアではないのかもしれない。
しかし、誤った経済観を広めることは、投資家たちの不利益となるだけでなく、長期的には日本経済の正常化を遅らせる要因にもなる。彼ら個人の社会的な成功のために、日本の人々の生活が犠牲になるのはやはりどう考えてもおかしいし、許しておくわけにはいかないというのが私の率直な思いである。