グローバル人材に不可欠な「価値観の違い」の理解

 ひとつ、たとえ話をご紹介します。目玉焼きをイメージしてください。

 Aさんは醤油派で、ソースをかけるのがとても苦手な人です。
 Bさんは根っからのソース派で、みんなもソースが好きだと思い込んでいます。
 AさんとBさんにそれぞれ別のお皿で目玉焼きが出されました。
 Aさんは醤油、Bさんはソースをすかさずかけます。
 そこでBさんが一言。「え!Aさん目玉焼きにソースかけないの?」
 そしてAさんは「うん。ソースかけて食べるの苦手なんだ~」

 これは、何事も起きませんね。それぞれの領域にお互い侵入していないので、平和に時間は流れます。ただ、以下のパターンはどうでしょう。

 大きなお皿に目玉焼きが二つのっています。

 Aさんが席を外している間に、Bさんは二つの目玉焼きにソースをかけてしまいました。席に戻ってきたAさんはびっくりしてこう叫びます

「ぎゃー!!何てことしてくれるんだ!目玉焼きにソースなんてかけたら食べられないじゃないか!醤油かけるべきでしょ!」

 そしてBさんも反論します。「え~~~!ソースかけないで食べる人なんてこの世にいるの!?ソースかけないなんて、Aさんおかしいんじゃないの?」

 ここでの問題は何でしょうか。それぞれが醤油派・ソース派であることの正当性を主張しても意味がないですね。大事なのは、

・「自分は醤油派だからソースはかけないでほしい」とAさんが明らかにしてくこと
・「自分以外の人はソース派ではない可能性」をBさんは意識しておくこと

 この二つです。自分の価値観は必ずしても相手と同じではなく、かつ絶対に譲れない領域があることも不変の真理です。それらを受け入れていかに行動していくか。これこそがグローバル人材としては不可欠な要素です。

 日本国内だけで、日本人とだけ仕事をしていると、ついつい国際的な「価値観の違い」に鈍くなります。また、その鈍さは同じ日本人同士でも影響が出てきて、違う考え方に対して不寛容になる温床となりえます。

 ヨーロッパやアメリカ、日本以外のアジアの都市生活者の人たちは、様々な人種と関わることが宿命づけられていますし、異なる宗教の人同士が関わりあう機会も多くあります。国内でも東京や大阪の外国人の数も増えてはいますが、国外と比較すればまだまだ圧倒的に日本人が多い。また、日本では無宗教の国民性も手伝って、「まったく違う価値観」に触れる機会がないがゆえに「普通こうだろう」という勝手な思い込みを持ちやすい環境であると言えます。そうであるが故の不寛容や軋轢を生みやすいという特徴があるように思います。ぜひこの記事を読んだ皆さんが、そんな日本を変えていく原動力になってくれることを祈っています。

 次回は、三つ目の暗号「分岐」についてご紹介します。

(日本マイクロソフト マイクロソフトテクノロジーセンター センター長 澤円)