家族全員がいなくなった状況で、大学なんかに行っている場合じゃないという見方もあるでしょう。でも、大学に行きたいというのは震災の前から彼が思っていたことで、震災によってその気持ちが変わったわけではありません。震災によって全部が変わってしまったと考えるのではなく、やろうと思っていたことは、続けられるなら続けていいのです。

 決して無理をする必要はないですが、震災前からやってきたことを継続するのは重要なことです。寝る前に1時間読書をする習慣のあった人なら、こんなときでもそれを続ける。日頃の日常生活を無理せず自分の意思とペースで営んでいた人ほど、大きな出来事があっても、日常の営みを続けられるものです。

 人間は、マイナーチェンジは可能です。時間をかけて次第に変わることはできます。しかし、悲観的な人が急に楽観的になるとか、自己中心的な人がいきなり世のため人のために活動するとか、一つの出来事で人格が入れ替わるほどの変化はとても危険です。

 そういう人を何人も見てきましたが、それは洗脳された人です。人格の激変はむしろ病的である。そう自覚しておくべきでしょう。

 同じニュースを見ても、いろいろな反応を示す人がいるのが健全な社会です。

 義援金を出さないでも、ボランティアに行かないでもいいのです。人それぞれ出番は、いずれ必ず訪れます。その時のためにいまは力を蓄えておこうという人がいてもいいし、むしろみんなが疲れきってしまったときに大きな力を発揮できるかもしれません。その「いずれ」は、半年先か、3年後あるいは10年後かもしれません。

 いまは自分のために時間を使って将来に備えるという選択も、決して悪いことではないのです。