教育に政治的中立は
ありうるのか

 ご存じのように、日教組は民主党にとって欠かすことのできない「支持母体」のひとつで、山梨県教組(以下、山教組)の委員長だった輿石さんの「力」の源泉だった。その関係性は、民進党となった今もかわらない。だから、昨年11月に山教組が主催した「称える会」には、蓮舫代表も駆けつけて、輿石さんの「思い」を引き継いでいきたいと祝辞を述べている。

 つまり、民進党議員のみなさんが「安倍晋三記念小学校」に対して「政治的中立を逸脱しているぞ!」と声を荒げれば荒げるほど、「いや、でも民進のみなさんも選挙のたびに教育の政治的中立なんかくそくらえみたいなこと言ってますよね」という特大ブーメンが、きれいな放物線を描いて後頭部に突き刺さる恐れがでてくるのだ。

「教育に政治的中立はありえない」という発言は、教職員のみなさんに「戦争法案反対」とか「安倍政治を許さない!」と気兼ねなくシュプレヒコールを上げていただくためのものであって、運動会で「安倍首相がんばれ!」なんて宣誓させる問題とは次元が違う、一緒にするなと民進党関係者は怒るかもしれない。

 しかし、もしそのような反論をすれば、ますますドツボにはまっていく。

 学校教育は進研ゼミの「チャレンジタッチ」のようなタブレットでおこなうわけではなく、教師という「人」がおこなう。その「人」が政治的中立を欠いていれば当然、子どもたちにおこなう教育も政治的中立を欠く、というのは森友学園よりはるか以前から、歴史教育等で日教組が証明してしまっている。その「偏向教育」をつかれると、「安倍首相がんばれ」と目くそ鼻くその「乱打戦」になってしまうのだ。