夜、家に帰ると、部屋に電気がついていない。家族がまだ家に帰っていないのだろうと思いリビングに入ると、暗闇の中で妻がパソコンを覗き込んでいた。節電のためだと悟った。

 事務所のドアに、「帰る時はエアコンの電源を切って帰りましょう」とさり気ない注意書きが張ってある。秘書による私への警告だ。すでにエアコンが切ってあるのに気づかず、帰り際に何も考えずにもう一回電源スイッチを押し、そのまま事務所を出た。それが秘書たちからの警告の原因を作ってしまったらしい、とひそかに反省している。

 自宅マンションはエレベーターの台数が多く、待ち時間があまりないことで評価されているが、計画停電の話が出てから3分の2は使わないようになった。待ち時間は増えたが、非常時だと意識しているためか住民たちからの苦情はない。身のまわりの小さな出来事も、今度の震災の影響の大きさを何気なく知らせている。しかし、こうした生活の中で覚える不便に対して、ほとんどの人は非常事態が発生した今の一時的な措置だと理解して我慢していると思う。実際にいつまでどこまで我慢できるのか、興味深いテーマである。

 マンションのエレベーターの横に、「心に桜が咲く日まで、私たちは節電します」と節電を呼びかける紙が張られている。

 「心に桜が咲く」という美しい文面が示したその日までの節電措置だと理解していいだろう。だが、私はその文面にある種の抵抗感を覚えた。

 先週の土曜日、BS-TBS「グローバルナビ・フロント」という番組に出演したが、テーマは「復興のステージへ、新しい日本を創ろう」というものだった。その中で、ゲストに「新しい日本」を創る際のキーワードが求められた。私は「未来へのリセット」を呼び掛けた。

 今回の節電は、原発事件を人災で大きく拡大してしまった東京電力という会社の困窮ぶりを救済するための社会的な協力活動ではない。生活者一人ひとりがこれまでのライフスタイルを考え直すきっかけにするべきだと思う。