「この話は、半年前から進めていたんです。我が社が求めるナラやタモの材料が中国にある。加工出来る工場が上海にある。しかし、集成材という私が求める商品を作るには設備が足りないから、日本から送る。何事も単純に考えるのが私のやり方なんです。
  それに、天安門事件で日本企業が次々に撤退しているのもチャンスだと思った。我が社が独占出来るとね……。外国といっても所詮は人間対人間の話し合い、何とかなると楽観的な考えて来たんですが、結局は振り回されるばかり、自分の甘さに呆れました。経営者失格ですな」

「ご自身一代で創業し、会社を大きくされたんでしょう? 立派な経営者ですよ」

 青年の社交辞令を聞き、気を遣ってもらっていることに、岩本は内心苦笑いした。

「大きい会社とは言えませんが、人に恵まれてここまでやってきました。私の栄三という名をひっくり返しただけの安直な社名だと笑われますが、三栄木材という名に、私なりの思いを込めているんです。顧客、社員、そして仕入れ元、その三者がともに栄えてこそ、事業は継続できる。ともすれば自己中心的に仕事を進めてしまう自分を戒めるための社名です」

 岩本の言うことを、学生の隆嗣には実感として捉えることは出来なかったが、世間知らずの若造を相手に真摯に語る岩本の態度には好意を覚えた。

 翌日、まさに隆嗣が言った通りの結果が出た。

 朝から上海市木材進出口公司のオフィスへ出向くと、すぐに総経理が出てきて岩本社長を待たせてしまったことを詫び、決定権者として交渉のテーブルに着いた。半年前から日中間でやりとりした交渉録を互いにひもといて、細部条件を煮詰める。

 日本から集成材生産ライン一式を輸出して供与し、その設備で生産した商品を出荷する際に、代金から設備代価を少しずつ差し引いて償還するという補償貿易方式なので、交渉が紛糾する問題は、設備の評価額と、その償還期限の設定、それに商品代金の取り決めとなる。

 岩本社長が、日本の機械メーカーの見積書を根拠に62万ドルという設備評価額を主張するが、先方は、中古機械であることを理由に50万ドル以下が妥当と言い張り、最終的には岩本の粘り腰で60万ドルで決着をつけた。

 これが決まれば、あとは互いに電卓を弾くことで結論は見えてくる。商品代金は1500ドルという中側の主張と1400ドルと頼み込む日側の間を取って、1450ドルと決まり、償還期限は3年となった。

 最初は5年を要望していた総経理も、償還期間中はこの設備を利用する商品の他社への販売を禁ずるという岩本の当然の主張を勘案し、下手に期限を伸ばすとビジネスチャンスを逃すことになるかもしれないという隆嗣の忠告を聞き入れて、3年を了承したのだ。

『設備60万ドル相当、補償貿易として毎月120リューベー以上を単価1450ドルで出荷する。輸出月額17万4000ドルの約1割に当たる1万7000ドルを設備対価として差し引くこととし、3年間で償還を満了する』以上で、仮契約書を交わすことになった。