現在の多くの人が、原発などの情報隠蔽に厳しい目を向ける一方で、どこか催眠術にかけられるような強いリーダーシップを待望しているところがあるように思えます。この危機的状況の真相を知りたいという思いと、解決策を誰かに示してほしいという思いの両方が交錯しているようです。解決策を示してほしいという思いの裏側には、自分たちが考えるのに疲れ、楽をしたいという発想があるのではないでしょうか。

 考えないのは楽かもしれません。ただし、代わりに方向性を明確に示してくれるリーダーを選ぶのはむしろたいへんなことです。期待する強いリーダーシップを発揮してくれなければ、批判し、文句を言い、辞任を要求する。これまで1年ごとに変わっていった総理大臣に対する姿勢と、いったい何が違うというのでしょうか。

 私は、総理大臣に強いリーダーシップは必要ないと思っています。

 むしろ、一人ひとりの命を大切に思い、こういう大災害が起こったときや命の危険が国民に差し迫ったときに、適切な策を講じてくれるリーダーが求めるべきだと思います。

 絵に描いた餅のような国家の方向性を高らかに宣言しても、事故や事件や災害が起こったときに右往左往するリーダーシップでは、もはや国民には通用しません。

 いくら頑張っても個人の力ではどうにもならない場合、国民は国に頼るしかありません。リーダーには、そのときのためにセーフティーネットを整備してほしいものです。国家のグランドデザインは、むしろ国民全員が決めていくべきものです。

 その代わり、良い情報も悪い情報もすべて開示する。そのために国民がパニックに陥っても、収拾するのは国民自らの責任。多様な解釈や行動を国民がとり、行き詰ったときの最低限のラインだけは国が守る。こうした社会を実現するリーダーこそが、いま求められているように思います。