「比較可能」なグループなら
穴埋めできる
実は、ある条件が満たされれば、この考えは正しい。その条件とは、広告ありのグループと、広告なしのグループが、「比較可能」であるということである。
もし広告ありのグループが大都市にあり、住民の所得が高かったとする。一方、広告なしのグループは地方都市にあり、あまり宝石を買わない地域だったとする。この場合、「広告ありのグループの反事実における売上を、広告なしのグループの売上で穴埋めすることはできない。
「比較可能」とはどういうことだろうか。2つのグループにおいて、人口や平均的な所得、流行の感度など、宝飾品の売上に影響しそうなすべての特徴が似通っていて、2つのグループの唯一の違いは「広告を出したかどうか」だけだとすれば、この2つのグループは「比較可能」であると言える。
しかし実際には、ジュエリーショップの売上に影響しそうなすべての特徴が似通っている2つのグループなどというのはまず存在しない。
では、「だいたい同じ」ような2つのグループを比較するのではダメなのかと思った人もいるだろう。
残念ながら、「だいたい同じ」を「比較可能」と呼ぶことはできない。
たとえば、こんな例を考えてほしい。2つのグループはだいたい同じような地域なのだが、広告を出したかどうか以外にも、たった1つだけわずかな違いがあった。
それは広告を出した地域のグループと、広告を出さなかった地域のグループとでは、放送されたテレビ番組が違っていたのである。
このとき、広告を出した地域では、ジュエリーショップの目玉商品をつけた人気女優がドラマに出演していた。だが、広告を出さなかった地域ではそのドラマは放送されなかった。
たとえわずかな違いでも、この差を見過ごすことはできない。もし、この状態で、広告ありのグループのほうが広告なしのグループよりも売上が伸びていたとしても、それが広告によるものなのか、それともドラマによるものなのかわからない。
仮に、広告の効果よりも、ドラマの効果のほうがずっと大きかったらどうなるか。おそらく、来年のクリスマスにもう一度広告を出しても、期待されたような売上にはならないだろう。
だから、広告を出したかどうかという違いを除いては、ジュエリーショップの売上に影響しそうなすべての特徴が似通っている2つのグループを比較することが重要になってくるのだ。
しかし、現実にそういう事例を見つけ出してくることは至難の業だ。だからこそ、経済学者は、さまざまな手法を駆使して、とうてい似通っているとは言いがたいような2つのグループでさえも「比較可能」にしようとする。