2003年頃に四川省の省都である成都を訪問した時、現地に進出した日系企業の複数の日本人幹部と会って、中国での生活や仕事についていろいろと話を聞かせてもらった。その中で非常に印象に残る発言があった。

 「成都赴任の人事異動令を受けた時、目の前が真っ暗になってしまいました。中国勤務に対しての抵抗感はありませんが、赴任地については上海や北京などの大都市を想像していました。それが、よりによって奥地の奥地ともいえる成都への赴任を命じられるとはまったく予想していませんでした。ですが、赴任してみたら成都がすっかり気に入ってしまい、ここに来てよかったと思っています。ここで働いている日本人のほとんどは成都赴任を後悔していませんよ」

 取材に訪れた中国人の私へのリップサービスも多少はあるだろうと思ったが、他の日系企業でも似たような発言を聞いたので、ある程度は本音と受け止めていいのでは、とも思っている。赴任の人事異動令を受けた時に目の前が真っ暗になった、といった発言にはかなりの真実性がある。この言葉には、成都の置かれた地理的距離の問題が透けて見える。

 これは現代になってからの問題ではない。

 成都と言えば、三国志で親しまれている蜀の国の首都でもあった、歴史的にも文化的な薫りのある町だ。陸路からは攻め難い地勢を利用して、蜀はここで曹操の魏や孫権の呉と対峙していた。

 唐の時代、大詩人李白も四川に行く陸路の険しさを詩で嘆いている。かの有名な「蜀道難」である。「蜀道之難、難於上青天」つまり 蜀道の難きは 青天に上るよりも難し、というのだ。

 拙著『「中国全省を読む」事典』では四川省の地理について次のように紹介している。「中国の中心とも言える長江の上流に位置し、三峡を通じて長江中・下流の各省・市とつながっており、中国の西部地区にとっては重要な交通経路である。省内70%の土地が1000メートル以上の高地で、東部地域は高峻な山々に囲まれた広い盆地であり、西部は海抜が急激に高くなった高原と山地だ。沿海部からは遠く離れており、日中戦争時に当時の中央政府は同省に避難した。日本軍も同省までは進撃できなかったのだ」