今後、日本はラグビーW杯、東京五輪、そして万博の誘致など、国際的大イベントが次々と控えている。「カネが切れれば、またカネがいる」のバラマキを繰り返すアベノミクスをずっと続けるならば、国際イベントを次々と獲得し続けなければならなくなる。

 そして、国際イベントが続けば、テロリストに日本が関心を持たれるようになり、テロの標的になるかもしれない。少なくとも、テロの標的となっている国の人たちが、多く日本にやってくることになる。今後、日本がテロと無縁だと、なにを根拠に言えるだろうか。

 このような状況で、日本人の大多数が、完全なテロ対策を求めているのはいうまでもないだろう。例えば、フランス人のような、人権意識、民主主義についての意識が高い人たちならば、「内心の自由」を死守するために、結果としてテロが起きても、潔く受け止めるのかもしれない。なにせテロが起きた直後に、メディアがテロの原因となった「風刺画」を堂々と掲載し、果ては風刺画のコンテストまでやってしまうような国だ。

 しかし、日本人の感覚はフランス人とは違う。日本人は「テロは2万%防いでほしい」と願っているといっても、決して大げさではない。「民主主義という価値を守るために、テロが防げなくても受け入れる」というのは、リベラル系の「プロ市民」のような人を除いては、日本にはいない。多くの日本人は「お上意識」が強い。「民主主義」か「安全」か、どちらかを選べといわれたら、ためらいなく安全を選ぶ。「お上」から徹底して独立した個人になるよりも、「お上」に守ってもらいたいという意識が強い。

 国民が完全なテロ対策を求めるならば、欧州の事例に倣えば、「内心の自由」という人権を制限してでも、テロを防ぐことに、踏み込まざるを得ないのかどうか、国会で真剣に検討する必要があったのではないだろうか。

人権に踏み込むなら人権侵害を防ぐ
チェック・アンド・バランスが必要不可欠だ

 権力が「内心の自由」という人権に踏み込むと、なし崩し的に人権侵害が拡大し、戦前の治安維持法のような悪夢が再び起こるという主張がある(2013.12.6付)。しかし、それを防ぐ方策がとられている事例が世界にはある。