戦争は不可避ではない

それにしても、人間はなぜ性懲りもなく戦争などという愚かなことを続けるのか。それが人間というものだ、というような訳知り顔の意見にガルトゥングは与しない。ユネスコが世界の英知を結集してまとめた「暴力に関するセビリア声明」を引用して、戦争を廃絶することも平和を実現することも不可能ではない、と訴える。

声明は最後にこう結ばれている。「戦争が人間の心の中で起こるように、平和もまた人間の心の中で起こる。戦争を生み出した人間は、平和を生み出すこともできる。戦争も平和も責任は私たち一人ひとりにある」。(p.169)

それなのに人間が戦争に走ってしまうのは、代替案を知らないからである。ガルトゥングは代替案を研究し、それを人々に知らしめる努力を続けている。

かつてクラウゼヴィッツが言ったように、戦争とは他の手段を以(もっ)てする政治の延長である。(中略)しかし、政治目的を達するためであれば、はるかにすぐれた方法がある。対話、協調行動、共同プロジェクト、トラウマの解消、根底にある対立の解消などがそれである。(p.178-79)

ガルトゥング思想の根底にある「陰陽思想」

ガルトゥングの発想の根底には東洋的な陰陽思想がある。森羅万象すべてのことには陰と陽の両面があり、互いに対立しつつ補い合っているという考えだ。右派からは左派のように見え、左派からは右派のように見えるガルトゥング平和論の真骨頂かもしれない。

私が日本について何か良いことを話すと、だれかが立ち上がって、「あなたはまるで日本の国粋主義者だ」と決めつける。その反対側には日本礼賛の人がいて、たとえば中国や韓国について同情的な発言をしようものなら、「あの国がどんな国かわかったうえで、ものを言っているのか」と問い詰めてくる。白か黒かが激しすぎるのだ。グレーがいいと言っているのではなく、ものごとには黒い部分と白い部分があって当然だという認識が大切だと言いたいのである。(p.208)

紛争調停は対話から始まる

紛争が生じたとき、解決のために最初に行うべきことは徹底的な対話である。紛争調停者はすべての当事者と関わり、各当事者がその紛争をどう捉えているかを理解し、両立不可能なゴールを両立させる方法を見出さなくてはならない。タリバンのアジトでもノルウェーの小学校でも、ガルトゥングの調停は対話から始まる。

数年前、私はアフガニスタンのとある秘密の場所で3人のタリバンの戦士と話をした。私は彼らに、「あなたたちが住みたいと思う理想のアフガニスタンはどんな場所なのか」とたずねた。(65ページ)

私はいじめを行う子どもと話すとき、学校のどこが嫌いなのかを知りたくて、「どんな学校だったらいいと思う?」とたずねることにしている。私に言わせれば、これは紛争解決のための当然の第一歩なのだが、必ずどこかから、「いじめっ子は学校運営の専門家じゃない。機嫌取りのようなことを聞くのではなくて罰を与えるべきだ」という異議の声が上がる。(232ページ)

「真の和解」とは?

和解とは、過去の出来事にとらわれることをやめて前に進むことの当事者間の合意である。日本は韓国とのあいだに従軍慰安府問題、中国とのあいだに南京事件という複雑な歴史認識問題を抱えている。アメリカとのあいだには真珠湾攻撃の真相や原爆投下の問題がある。ガルトゥングは歴史認識問題について、事実の検証は続けるとしても、どこかで合意を表明したら(埋められない相違は両論併記して)、共通の未来を創るためのプロジェクトに着手することが必要だと説く。

過去を清算するだけでは真の和解は訪れない。ともに前に向かって進むことによってはじめてトラウマは解消され、真の和解に到達することができる。(p.102)

国家間の紛争を超越する

妥協点を見出すことが対立の解決法と考えられがちだが、それでは両者になにがしかの不満が残る。真の解決は双方が満足できる解決策を見出すことである。いったいそんなことが可能なのだろうか? 数学の学位も持つガルトゥングは次のように言う。

数学者は解決できない問題に遭遇すると、新しい態様の数学を持ち込もうとする。7マイナス5なら問題なく解けるが、5マイナス7だと問題が生じる。そこで負の数という概念を導入するということだ。そのように新しい数学を導入することを、数学の世界では超越(transcend)と呼ぶ。それが平和構築に向けて活動する私たちの組織「トランセンド」の名前の由来である。数学者が数学に新しいリアリティを導入して解けない問題を解こうとするように、トランセンドは社会に新しいリアリティを持ち込んで国家間の紛争を超越しようとする。(p.227)

「サボナ・メソッド」とは?

ガルトゥングが主宰する「トランセンド」(超越)は子どもの教育にも力を入れている。その手法が「サボナ・メソッド」である。子どもたちが自分の力で対立を克服するよう工夫された時間を導入することで、いじめの解消に大きな成果を上げている。ノルウェーだけでなく、アイルランド、スペイン、ロシアへとゆっくりだが広がりつつある。

国家間対立を引き起こしている大人も、その解決に携わる大人にも、子どもの時代がある。だから教育の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。戦争も平和も突き詰めていくと、人間ひとりひとりの心の中から始まるのだ。(p.227-28)

「サボナ」とは、ズールー族の挨拶の言葉で、「あなたは私の中にいて、私はあなたの中にいる。あなたは私にとって大切、私はあなたにとって大切。私たちは互いの一部である」という意味だ。『日本人のための平和論』の最終章はサボナ・メソッドの紹介に充てられている。ここはぜひ教育関係者に読んでいただきたい。

日本の外交政策にはビジョンと創造力が欠けている

日本の外交政策にはビジョンと創造力が欠けている、とガルトゥングは苦言を呈する。平和のための研究や活動においても然り。平和学の父は常に、もっと意見表明を、もっと議論を、もっとビジョンを、と呼びかける。

だれかが声に出せば、だれかがそれに手を加え、付け加え、改善してくれる。だから私たちはビジョンの種を蒔き続けなければならない。それが芽を出すには時間がかかる。遠目からも見える大樹になるには、もっと長い時間がかかる。しかし、種を蒔かなければ何も芽生えてはこない。厳しい時代だからこそ、悲観することなく積極的に行動しなくてはならない。(p.253)

ヨハン・ガルトゥング
1930 年、オスロ生まれ。社会学者。紛争調停人。多くの国際紛争の現場で問題解決のために働くとともに、諸学を総合した平和研究を推進した。長年にわたる貢献により「平和学の父」と呼ばれる。「積極的平和」「構造的暴力」の概念の提唱者としても知られる。自身が創設したトランセンドの代表として、平和の文化を築くために精力的に活動している。創立や創刊に関わった機関に、オスロ平和研究所(PRIO)(1959)、平和研究ジャーナル(Journal of Peace Research)(1964)、トランセンド(1993)、トランセンド平和大学(TPU)(2004)、トランセンド平和大学出版局(2008)がある。委員あるいはアドバイザーとして、国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)、国連児童基金(UNICEF)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、世界保健機関(WHO)、国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)などの国連機関で、また欧州連合(EU)、経済協力開発機(OECD)、欧州評議会、北欧理事会などでも重要な役割を果たした。教育面では多くの大学で学生を指導した。客員教授として訪れた大学は世界各国で60近いが、そのなかには日本の国際基督教大学、中央大学、創価大学、立命館大学も含まれる。名誉博士、名誉教授の称号は14を数える。平和や人権の分野で、ライト・ライブリフッド賞(“もうひとつのノーベル賞”、ノルウェー・ヒューマニスト賞、ソクラテス賞(ストックホルム)、ノルウェー文学賞、DMZ(非武装地帯)平和賞(韓国)、ガンジー・キング・コミュニティ・ビルダー賞(米国)など 30 以上の賞を受賞している。 写真/榊智朗