また京都には、何百年と続く老舗が残っている。花街や老舗には、お得意さんを優遇し、お得意さんの紹介でないと入店できないという「いちげんさんお断り」の文化がある。

 観光都市は、特に何もしなくても人がどんどん訪れるため、何も手を打たないと商売が粗くなりやすい。お得意さんだけを相手にしている店は、味やサービスの質が落ちるとすぐにばれてしまう。お得意さんが満足するような味とサービスを提供し続けることは、時代に左右されず、店を長続きさせるための秘訣である。そこで京都人は、無理にお客を増やして儲けようとせず、「商売はぼちぼち」が確実な方法であると肝に銘じているのだ。

◆「共同体」としての京都
◇ゲゼルシャフトと、ゲマインシャフト

 京都市は今や人口140万人以上の人が住む大都市である。都会になればなるほど地域のつながりは希薄になるといわれているが、京都は例外といってよい。

 ドイツの社会学では、「共同体」を示す二つの言葉がある。一方は「ゲマインシャフト」といい、家族や村落など、人間が本来持っている性質に根差した社会集団を指す。もう一方は「ゲゼルシャフト」と呼ばれ、機能や目的で結びついた共同体のことである。

 ゲゼルシャフトは仕事の都合でどうにでも変更可能であるために、人間が本来持っている性質を無視しかねない。例えば、冷暖房が完備されたオフィスを想像してみよう。暑さ寒さや光の明暗などが一定に保たれ、外からの感覚的妨害が入らない環境で仕事をするのが当たり前になっているのは、ゲゼルシャフトの好例といえよう。東京は、ゲゼルシャフトの典型であり、機能主義に偏りすぎている。これに対して京都は、ゲゼルシャフトの特性も持ち合わせているが、山や川など自然を感じられる場所も身近にあるため、ゲマインシャフトの特性も残している。

◇町衆の力で受け継がれる祇園祭

 市民とは、自分たちで自治的に組織をつくって物事を決められる人という意味である。市民という言葉は日本では定着していない。しかし、唯一、市民文化が存在するとすれば、それは京都だというのが著者の見解だ。

 例えば、日本三大祭りの一つである祇園祭は、京都の人たちが山鉾を町内で守り、祭の際に披露している。祇園囃子(ぎおんばやし)の稽古やしきたりは地元の人たちが大切に受け継いでいる。京都では、市民というよりも町衆という言葉がふさわしいかもしれない。だが、何百年と続いてきた伝統行事は、市民の力なくしては成り立たない。 

◇京都の壁は日本の都市の近代化を考えるカギ

 都会は人の出入りが激しく、その土地で生まれ育った人よりも、よそから来て住む人のほうが多い。このため、昔ながらの共同体を維持することが難しい。

 東京はビジネスライクな大都市であり、そこに住む人たちは仕事上の付き合いばかりで、地元でのプライベートの付き合いを重視しない傾向にある。家族を含めた共同体のつながりがないため、東京には「市民がない」といえる。これに対し京都は、東京とは異なる側面を持っており、それが京都の壁にもなっている。京都の壁を解き明かすことは、日本の都市の近代化を考える手がかりになる。