それから、篠原とそのチームは、国際会議に出かけるたびに、試作品を見せて回った。その際、むきになった巨漢の米国人やフランス人が力任せに引っ張って、中の光ファイバーが切れたこともあるが、通常はまず切れることはない。

 日本では、世界に先駆けて06年4月から市場に導入された──。

敗戦の反省からできた
国家の電気通信研究所

1962年頃の武蔵野研究センター(旧電気通信研究所)の様相

 東京のJR三鷹駅北口を出て、バスに揺られて15分ほどたつと、住宅街の中に「NTT武蔵野研究開発センタ」(旧電気通信研究所)の巨大な建物群が見えてくる。

 大学のキャンパスのような広大な敷地の中に、“折り曲げられる光ファイバー”を開発した篠原たちが所属する情報流通基盤総合研究所の本部がある。ここには、通信インフラに関するさまざまな研究開発の機能が集約されている。

 このNTT武蔵野研究開発センタは、1948年にGHQと旧逓信省の折衝を通じて誕生した電気通信研究所(通研)にルーツがある。もとは国家の研究機関で、三鷹の旧中島飛行機の工場跡地に移った52年からは、旧日本電信電話公社(現NTT)の研究開発で“本丸”として活動を続けてきた。

 今となっては、当時の事情を知る人は少ない。だが、通研の初代所長だった吉田五郎は、48年8月の開所式で、以下の言葉を残している。「技術研究の応援を持たない経済事業体が如何に貧弱であるかは自ら明らかである。事業からはずれた単なる工学研究所を持っている国民は不幸であり、今までのように国民の科学知識を低いままに放置して黙認していたのは非常にいけないことであった」。