発芽蕎麦に独特の燻したような香り、
ぐりぐりした腰の食感が二度、三度と癖になる
発芽蕎麦は「おお西」から学んできたもので、その面倒な製法を聞くだけで、普通の蕎麦屋はやりたがらないだろう。
しかし、発芽蕎麦独特の燻したような香り、ぐりぐりした腰の食感を味わうと、二度、三度と癖になってしまう。早く誰かにその特別な味わいを教えたくなってしまう。
「あの頃は何を目標に生きたらいいのか、全くわからなくなっていました」と言う鈴木さん。誰もが知るほどのビックカンパニーに勤めていたが、元々外向きな性格で、組織内のラインの息苦しさに耐え切れないようになった。常々、違う生き方をしたいと考えていたが、その糸口が見つからなかった。
「歩いて何かを考えてみよう」――。考えあぐねた末、鈴木さんは意を決して徳島の1番札所で白装束をまとった。寒風吹きすさぶ12月に“歩きお遍路”に旅立ったのだ。当時結婚をしていたから、周囲は煙に巻かれたようなもので、呆れて誰も反対はしなかった。
「一気に60箇所くらい回って、ひとつのことがわかりました」と鈴木さんは言う。人生を狭い範囲で捉えてきた己が見えたという。それはお遍路さんで一生を過ごしている人たちに出会った事だ。彼らはお布施を頂き、他力本願的な生活をしていたのだ。考えたこともなかった生き方だった。どんなことでも人間は生きられると思った。
“人は誰かに生かされて生きる”――、お遍路さんにその象徴を見たような気がした。勇気がひとつ与えられ、さらに歩を進めた。
彼は六十八番札所で七宝山の観音寺に向かっていた。だが、道を間違えたか迷ってしまう。ふと見ると手打ち蕎麦屋の看板があった。「讃岐饂飩の国、香川で蕎麦か……」と彼の興味が刺激された。入ると、予想以上の堂々とした古民家を舞台にした蕎麦屋だった。
「千葉生まれで蕎麦は食べ慣れていたんですが、美味かった。せいろもそうですが、かけそばは今までに食べたことがないような甘い出汁で、蕎麦の風味が素晴らしかったです」と鈴木さん。ここで大きな感動をひとつ得たという。