都内で唯一、発芽蕎麦と水こね十割の更科という難易度の高い蕎麦をメニューに持つ西麻布「祈年・手打茶寮」。手間ヒマをたっぷりかけて誕生する発芽蕎麦、並の職人では打つことさえできないであろう水こね十割の更科。他では味わうことのできない蕎麦と、ひと手間かけた美味い肴で秋の夜長を楽しみたい。

信州上田の名店「おお西」で修行
発芽蕎麦と水こね十割の更科は都内では唯一

 人生に迷い、目的を失った男は四国遍路※1の旅に出た。四国八十八箇所、全長約1400キロを40日で回る計画を立てた。1日の行程距離は約30キロ。ひたすら霊場といわれる寺を目指して歩く。歩き、考えることで、自分の明日が拓けるのではないか、と彼は思った。

発芽した蕎麦の実。2ミリ程の芽が出ている。それを蕎麦にしてしまうという発想がユニーク。香りや味わいに深みが増してくるといわれている。

「いや、考えるなんて無理でした。休憩や眠るときに過去のことが頭に巡るくらいで」

 西麻布「祈年・手打茶寮」の亭主、鈴木年樹さんが当時を振り返る。38歳で40日間の長期休暇を会社に申請して、お遍路を成就した男が今、蕎麦屋の亭主になっている。

 乃木坂駅から青山公園沿いに7~8分程度歩くと、1軒のそば屋が現れる。店の屋号は、豊穣を意味する「祈年」。自然素材の竹や木材を多用し、鮮やかな茶系色の印象が強い店内。あの信州上田の名店「おお西」で3年の修業をして、2010年3月に開店したばかりだ。

 ここで見逃せないのが発芽蕎麦と水こね十割の更科。この2つで蕎麦好きたちの人気を集めている。

豊穣を象徴する「祈年」の文字が日暮れ時に浮かんでくる。店内は茶系色で統一。カウンターとテーブル席がふたつ、入り口横には接待に使える個室風のテーブル席があり、いずれもゆったりと過ごせるようにスペースに余裕を持たせてある。

※1 四国遍路:古代より、都から離れた四国は辺地(へじ)と呼ばれ、平安時代には修験者が悟りを開く修業の道であった。空海もそこを歩き、それに倣い、修行僧らがその足跡を慕って修験の旅とした。これが四国遍路の原型と言われる。江戸初期には一般庶民に流行し、現代に至ると、いわゆる「自分探しの旅」として観光化された。観光訪問のお遍路は年間約30万人あり、その中で“歩きお遍路”は5000人程度である。