「檻のない動物園」から上場企業へ
朝倉:2004年に、ザッパラスの社長に就任されていますね。どのような経緯で関わることになったんですか?
杉山:創業者の玉置真理氏は、ダイヤルキューネットワーク(1989年から1991年にかけて事業展開していたベンチャー企業。ダイヤルQ2サービスを利用して情報コンテンツを提供していた。杉山さん以外にも多くの起業家を輩出した)の創業メンバーとして共に働いた仲だったんです。ザッパラスを作って3年くらい経ったタイミングで社長を交代することになり、やってくれないかと声をかけてもらいました。
当時のザッパラスはいわゆるカンパニー制をとっていて、7つか8つの異なる事業をそれぞれのカンパニーが運営しているという状態でした。その中ではちょうどブームだったのもあって、iモード関連の事業が好調でしたね。他にも黒字の事業もあれば、赤字の事業もある、そんな感じでした。
朝倉:先ほどの判断基準に照らし合わせると、マーケットとして成長余地があったというわけですね。会社の内部はどうだったんですか?
杉山:無茶苦茶でしたね(笑)。「檻のない動物園」という感じでした。「壮大なる実験場」というコンセプトで始められた会社だったので、それぞれのカンパニー長が好き勝手にやっていました。それで、すべての事業がうまくいっていればいいんですが、当然うまくいっていないものもあって。なんと、給料が自己申告制だったんですよ。取締役も自薦式で、「役員やります!」って言ったら「じゃあ来月からがんばってね」と言われて役員に就任するっていう状態。赤字の部署に限ってべらぼうな給料を取っていたりして、それほど高い給料をもらってないけど黒字を出しているカンパニーの優秀な人たちはモチベーションが下がって辞めてしまう、といった状態でした。
役員総入れ替えから始まった社長の仕事
杉山:社長として入ってすぐ、いろいろ面談をしたところ、上層部から代えないと駄目だということが早いタイミングにわかったので、当時いた創業者以外の常勤の役員は全員1カ月後に辞めてもらいました。現場が混乱するかと思いましたが、「やっと解放された」といった雰囲気で、社員には案外歓迎されましたね。その後、半年くらいかけて事業を整理し、社員も半分くらいに減ったのですが、就職先を斡旋したりしてなるべく混乱は起きないように進めました。
朝倉:役員を全員入れ替えるというのは、かなり思い切ったやり方ですね。その後、どうやって会社を再構築していったんですか?
杉山:他の会社の場合もそうですが、事業面ではどこが伸ばしていくべきコアな部分なのかをまず見定めます。ザッパラスの場合はiモードの中でも占いに特化するのがいいと考えて、そこにフォーカスして他の事業は削って行きました。当時のカンパニーの一部には黒字事業もありましたが、集中と選択のためMBOさせて独立してもらいました。
組織の面では、リョーマで一緒だった松本浩介氏に来てもらって、社員と直接関わる役割を負ってもらいました。当初は、もう少し後になってから合流してもらう予定だったんですが、荒療治しなきゃならなかったので早めに入ってもらったんです。代表が直接出ていけないような場面に代わりに行ってもらう、という難しい役割も多く担ってもらいました。
組織には、奥行きがあったほうがいい場合があるんですね。フロントで現場に直接関わる人がいて初めて、その後ろで全体を見渡す人が活きてくると思うんです。その意味では、松本とは良い役割分担ができたと思います。
*次回【杉山全功さんに聞く Vol.2】ゲームのことはわからなくても、ゲーム会社は経営できるに続きます。
*本記事は、株式公開後も精力的に発展を目指す“ポストIPO・スタートアップ”を応援するシニフィアンのオウンドメディア「Signifiant Style」で2017年10月4日に掲載された内容です。