これもマイケル・サンデル教授の「白熱教室」の影響なのか。それとも、3・11以降の時代の空気感からくるものなのか。
最近の講演会は、一方的に演者が聴衆に話すだけではなく、誰かがファシリテーターになって、会場の皆で問題意識を共有していこうというスタイルに変わってきたような気がする。
なぜ改めてそう思ったか――。11月13日、「ひきこもり」状態にある人たちと家族らで作る「全国引きこもりKHJ親の会(家族会連合会)西東京萌の会」の講演に呼ばれたとき、90分の講演の後、筆者と同会代表の井手宏氏が“バトル”のような状態になった。そして、それをきっかけに、会場の人たちからも発言が飛び出して、偶然にも、会場全体が一体感を持てたような状況が作り出せたからである。
大震災後に見られた「引きこもり」の変化を
日常生活でも起こすことは可能か
こんなやりとりがあった。
筆者は、東日本大震災によって、周りの状況が自分も含めてフラット化し、同じ目線、同じ波長で話のできるような世界が生まれたという話をした。
以前にも、当連載で触れたように、引きこもる人たちが新しいエネルギーを得て、新たな道をスタートするには、タイミングがある。それは「他人のために自分も役立つのではないか」と、自分の役割が明確になる瞬間だ。
すると、会場の母親から、こんな質問があった。
今回は、悲惨な大震災という状況の中で、フラット化が起こり、偶然にも、そのタイミングが訪れた。では、日常生活の中でも、そういうことが起きるのか、という疑問だ。
会場の母親は、こう続ける。
最近、近くに住む知人の息子の部屋のカギが壊れて、ドアが開かなくなった。そのときに家にいたのは、その本人と母親だった。
母親から電話がかかってきた。
「私にはどうしても開けられない。何とかしてもらえないか」
自宅の2階には、引きこもっている息子がいた。ドライバーや金づちなどを用意したが、自分には何とも自信がない。そこで、階段を駆け上がって、息子にこうお願いした。
「お母さんには、とても無理だ。一緒に来てくれないか」