前漢時代の歴史家である司馬遷は、その著書『史記列伝』の中で「知ることがむつかしいのではない。いかにその知っていることに身を処するかがむつかしいのだ」と指摘しています。

 世の中には「知っていること」自体を一種のファッションのようにひけらかして悦に入っているみっともない人で溢れていますが、司馬遷がかつて指摘したように、大事なのは「知っていること」ではなく、それを「より良い生」に反映させることでしょう。

「教養」を身につけることで自分は何を得ようとしているのか、もしかしたら単なるコンプレックスの埋め合わせをしようとしているのではないか、ということを考えることが必要です。安易な教養主義への逃避は、ますます自分の人生を貧しいものにする可能性がある、ということをゆめゆめ忘れてはなりません。

「本当のアーティストは出荷する」という言葉を残したのはスティーブ・ジョブズですが、これはけだし、名言だと思います。

 ぐだぐだとデザインに関する御託を並べているくらいなら、実際に商品として世の中にインパクトを出してみろ、という挑発ですが、ジョブズのこの指摘にならえば「本当の教養者は豊かな人生をまっとうする」ということになるでしょうか。

「あの人、まあ活躍しているようだけど、キルケゴールも知らないんだぜ?」とほざく教養主義者には、「ふーん……そういう君はキルケゴールを読んでいるくせにウダツが上がらないようだね」と返してあげましょう。

 幸せになるには仕事の出来不出来なんか関係ない、教養こそが大事なんだぜ、などというのはまやかしで、それこそ「無教養」だということを忘れてはなりません。

「知は力なり」。とんでもない。きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力をもっていない人もあるし、逆に、なけなしの知識しかなくても、最高の威力を揮う人もある。
――ショーペンハウエル『知性について』