従来の教育法で「英語が話せる子」が育たないワケ

その差は、教育に原因があると考えるのが自然です。
要は「教え方」が間違っているのです。

英語だけならまだいいのですが、問題はそれだけではありませんでした。
日本出身の学生は、講義中の発言や論文などでも他国に引けをとっているように思えたからです(もちろん優秀な人もいました)。

世界のエリート学生と日本型の受験秀才とのギャップを目の当たりにした僕は、「このままでは日本は大変なことになる……」という危機感を日に日に募らせました。
イェールに留学するほどの日本人でも、この程度の英語力、いやそれ以前に、思考力や表現力が不足しているのだとすると、日本の教育は「欠陥だらけ」だと結論するしかなかったからです。

いてもたってもいられなくなった僕は、日本の選挙に出て衆議院議員になりました。
当時はまだ30代で、イェールで博士論文を書いている最中でしたから、周りの人はずいぶんと驚いていました。
とはいえ、僕は大真面目に「大学で“政治学”を研究している場合じゃない! 自分で“現実の政治”を動かさなければ!!」という思いに突き動かされていたのです。当選し続けたら、文教族議員として日本の教育を変えていく希望を持っていました。

2度目の選挙で落選を経験したのち、イェールで博士号を取得した僕は、いくつかの大学を経て、助教授(Assistant Professor)としてイェールに戻ることになります。
しかしこの間もずっと、前述の問題意識が消えることはありませんでした。

そこでついに、研究者を辞めてアメリカから帰国することを決意し、東京と山形で小さな英語塾を起業しました。要は、国レベルで“上から”教育を変えるのではなく、起業家として"下から"変化を巻き起こすゲリラ戦術へとシフトしたわけです。