世論ではない
「輿論」の重要性

 民主主義が不安定なのは、古代のギリシャの時代から指摘されていたことである。

 この不安定さは、大衆の空気に支配され、それに迎合する政治や扇動する政治に陥りやすいことにある。独裁や、戦争という破局を招いたのも歴史の事実である。それが、代表制や大統領制を生み出し、権限を相互チェックする仕組みをつくり出した。

 個人の人権や平等に最も適合した民主制は民主の衆愚によって否定される。この皮肉は、私たちにある試練を迫っている。

 代表制の仕組みをまず健全に運営させることである。今の日本の「危うさ」は、それが機能しないまま、日本が未来に向けた決定を迫られていることにある。その中で、もっとも大事なのは、輿論(よろん)の役割だと、私は考えている。世間の空気の流れに逆らっても、責任ある意見を主張する覚悟と、それを尊重する姿勢である。

 京都大学の佐藤卓己准教授は著書「輿論と世論」の中で、世論と輿論は異なること、そして「世間の雰囲気(世論)に流されず、責任ある意見を担う主体の自覚が民主主義に不可欠」と主張している。

 私も、その覚悟のために、非営利の世界に飛び出したが、そうした輿論を担う主体は、論壇の機能が衰退したのと同様、今ではほとんどが形骸化している。既存のメディアも含めて大衆の雰囲気に迎合する、ポピュリズムの傾向がはっきりと目に見え始めている。