マネジャーとマネジメントの実践
私がルーファーに「御社はマネジャーを置かずにマネジメントを実践する術を見つけたのですね」と言うと、即座に訂正された。
「当社では言わば全員がマネジャーなのです。石を投げればマネジャーに当たりますね。マネジメントには経営計画、業務の段取り、指示、人材の手配、管理・監督が含まれ、全従業員にこれらすべてを期待しています。だれもが自分の使命をマネジメントするわけですよ。同僚との取り決めや、仕事をこなすのに必要な経営資源についてもしかり。同僚に責任を果たさせるという意味でも、全員がマネジャー役を担っています」
それでも、ルーファーはこちらの言葉の意図を読み取ってくれた。この数十年というもの、マネジメント業務については「マネジャーという正式な肩書を持った人々に、上役という立場でこなしてもらうのが最も効果的だ」とされてきた。ところが、モーニング・スターの長年にわたる試みからは、全員にマネジメント業務を担わせるのが可能であるばかりか、収益性もよいことがうかがわれる。適切な情報、インセンティブ、ツール、責任が与えられれば、たいていは自分たちでマネジメントを実践できるのである。
市場と階層制にはそれぞれ長所があり、二者択一の必要はない。モーニング・スターは独立請負業者の緩やかな集合体でもなければ、人々の能力ややる気を損なう官僚組織でもない。市場と階層制、両方の特徴をそれとなく合わせ持っているのだ。
一方、モーニング・スターを、「当事者間のつながりが濃い市場」としてとらえることができる。各人には、市場取引に似た取り決めを同僚と交わす裁量が与えられている。これでは利害が対立しやすく仕事の進め方が込み入ってしまうのではないか、と思われるかもしれない。しかし、いくつかの要因によってそのおそれは和らいでいる。
第1に、交渉や取り決めに加わる全員が、同じ判断基準に従っている。本物の市場では、消費者は売り手の利益など気にかけない。他方モーニング・スターの従業員は、会社が傾いたら素晴らしい勤務先を失うことを承知している。
第2に、同僚を踏み台にしたり、約束を守らなかったりしたら、その報いを受けるのは自分だと、みんなが理解している。このため、業務上の取り決めよりも関係性を重視する姿勢が培われる。
最後に、従業員のほとんどは長年トマト関連の事業に携わっているから、だれが何をすべきかをよくわかっている。新年度になっても、あらゆる取り決めの細部を逐一改める必要はない。これら共通の目標、長期の関係性、事業知識によって人々が結びついていなかったなら、モーニング・スターの仕組みははるかに低い成果しか上げられないはずである。
モーニング・スターは、「自然発生した活力ある階層の集まり」でもある。形の上では階層は存在しないが、非公式の階層はいくつもあるのだ。どの問題についても、専門性や「周りの力になろう」という意欲に応じて、発言力の大きさには開きが出る。これは地位ではなく影響力に基づく階層であり、ボトムアップでできあがる。
この会社では、専門性を示し、同僚に力を貸し、付加価値を生み出すと、権限を増やしていくことができる。これらを実践しなくなったら、影響力が衰え、給料も減るだろう。
大多数の企業では、階層は自然発生するわけでもなければ活力も持たない。リーダーはおのずと頭角を現すのではなく、上からの指名によって決まる。腹立たしいことに、重要な任務はえてして、最も有能な人物ではなく、政治的な嗅覚がだれよりも発達した人物に与えられる。
それだけではない。権力はポストに伴うものであるため、有能な人物に権力が集まるとは限らないのだ。1度マネジャーになってしまえば、解雇されない限り権力を失うことはまずない。それまでは、成果が上がらない状態が続いてもおとがめなしである。
モーニング・スターでは、「全員がすべての問題について対等に発言権を持つべきだろう」という発想は皆無だが、同時に、「上司である以上、その人だけが決定権を握るべきだ」と考える人もいない。
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マネジメントの将来がどうなるかはまだわからないが、モーニング・スターの人々による幕開けは刺激に満ちている。ただし疑問も残る。
同社の自主管理手法は、従業員数1万人や10万人の企業でも成り立つのか。文化の異なる国や地域にも適用できるのか。低コストを武器にした海外の競争相手が出現するといった、深刻な脅威に対処できるのか。ルーファーや従業員たちはこれらの課題を考えると夜も眠れないと言い、自主管理が未完成であることを潔く認める。
「理念としては90%くらい完成していると思います。ですが、実務面ではわずか70%でしょう」(ルーファー)
私は、モーニング・スターの手法はあらゆる規模の企業で使えるだろうと考えている。大企業のほとんどはチーム、部門、職能の集合体であり、それらすべてが同等の自律性を持つわけではない。企業規模がどれほど大きくても、たいていの事業ユニットにとって社内取引の相手は少数に限られるはずだ。年商7億ドルのモーニング・スターは、けっして小粒ではないが巨大企業でもない。
モーニング・スターがもっとはるかに大きな企業の1事業部だと仮定しよう。この場合、「他の事業部が同じ経営哲学を掲げる」という条件が満たされる限りは、「自主管理手法を全社的に運用するのは不可能だ」などと考える理由はない。巨大グローバル企業の各事業部を代表する人々同士が話し合いをして、モーニング・スターの事業部間で毎年交わされるのと同じような合意に至るのは、想像を絶するほどのことではない。
実のところ本当の問題は、自主管理が規模の大きな企業で通用するか否かではなく、伝統的な階層組織に導入できるかどうかである。これについても私は肯定的な見方をしているが、適応には時間、労力、熱意を要するだろう(囲み「自主管理への道のり」を参照)。
どんな不確実性があろうとも、はっきりしている点が2つある。
1つには、少し想像力を働かせれば、自由vs. 統制のような、長く組織を悩ませてきた、克服できそうもないトレードオフを克服できる。
2つ目として、マネジメント権限がごく一部の過大評価された人々に集中するのではなく、全員の責任とされる組織を思い描くのは、もはや現実離れした空想ではない。