紆余曲折を経て、湊小学校の避難所は、市が配給していた食事の配給の拠点となっていた。余計なトラブルを避けるために、避難所の住民と在宅被災者とで、別々に配給時間が設定されていた(2011年7月、石巻市)
Photo by Yoriko Kato

 避難所から、徒歩で数分のところに住む家族から聞いた話だ。在宅被災者たちの家を訪ねると、必ずといっていいほど避難所の悪口を聞かされた。庄司氏も、避難所にいる側の被災者ではあったが、そんな住民たちの関係を心配していた。

「支援を避難所だけにすると、市民の分断になる。物資が手に入らない状態なのであれば、在宅の人たちにとっての調達の拠点でもあるべき。市も被災していて、職員が足りない事情は分かるけれど、対応が遅い。在宅被災者と避難所の間の溝がこのままでは、防災上も、今後の街づくりにも影響すると思う」

 実際に、大きな余震で津波注意報が発表されると、在宅被災者たちは「あそこ(湊小学校)には絶対に行きたくない!」と、わざわざ遠い高台に向かった。

 そんな危機に陥っていた在宅被災者の調査を、市が行ったのが被災から約1ヵ月後の4月中旬。住民たちの強い要請で食事の配給などが始められたのは、発災から3ヵ月近く経ってからのことだった。

「市町村合併は、国の構造改革によって行われました。自治体も限られた財源のなかで、リストラしていかざるを得なかったけれども、こんなに大きな被害が出てみて、避難所で長く暮らしてみて、そんな単純な話ではなかったのだなと思い知らされました。議決当時、合併に賛成をした身として、自責の念があります」

 震災から1年経ったいまの、庄司氏の正直な気持ちだ。

地元出身者の重要性が明らかに
震災対応の混乱で見えた役所の限界

<支所、本庁で>

「災害時のことを考えると、今後は、地元出身の職員の割合をある程度は守っていくのも大切だと感じている」

 同市河北総合支所の職員は、これまでの災害対応をこう振り返った。

集落ごと湿地帯のような状態のまま、1年が経った(2012年3月、石巻市)
Photo by Yoriko Kato

「地域には、地図に載っていないような古い呼称の地名もある。災害時は、住民からの連絡や問い合わせの段階で、地名や地理がわからないと対応できない。また、地域ごとの仕事がわからないと、どこの誰のどんな話題かも分かりにくい」

 合併後も、同市の支所の職員は地元出身者が多く配置されている。震災時は、人事交流で、職員の4割ほどは「ヨソ者」だったが、同支所は職員の犠牲が少なかったこともあり何とか対応できたという。また、防災体制や防災無線なども、それぞれの地域ごとに合併前のまま運用していた。

「大雨や台風などの災害時から、本庁の指示を待たずに、役場の全員で独自に対処する、ということに、慣れていたと思う。でも、発災直後は、そりゃもう、全部混乱ですよ。通信手段もなくて、本庁と連絡がつかなくて、自分の支所のことは自分たちでやるしかなかったから」(同職員)