立ちはだかる
「命の価値」という根源的な問題

 私は、たとえ法整備が進み、社会インフラが整い、事故を起こしたときの責任の所在がAI開発企業なのか、自動車メーカーなのか、ロードマップなどの情報提供会社なのかが明白になっても、「完全運転自動化」、俗称、「無人運転」の前には、「命の価値」という根源的な問題が立ちはだかるように思えてなりません。

 今後、AIによる無人運転は、このもっとも重要な命題を提起し、世論が真っ二つに分かれて大論争が巻き起こる。決してありえない話ではないと感じます。

 また、事故を起こしたのが人間ならやむを得ないが、AIが事故を起こすなど論外だという意見も出てくるでしょう。

 いずれにしても、もはや技術的には無人運転はなんら夢物語ではない、そんなAIが開発されている時代に私たちは生きています。

 そして、このAIは、「ディープラーニング」と呼ばれる自力学習をする「子どものAI」と、人が一から教えて丸暗記させる「大人のAI」に分かれます。
 同じAIといえども、両者でどれほどの違いが出るのかは、第1回連載の中で「子どものAI」であるGoogle翻訳と、「大人のAI」である別の翻訳サービス(X翻訳)に同じ英文を日本語に翻訳させて、まったく異なる結果になるケースを紹介していますので、そちらを併せてお読みいただけたら幸いです。