もう一度書く、僕は今、被害者遺族ではない。もしも遺族(当事者)になったなら、今とは違うことを考えるかもしれない。でも今は非当事者だ。だから今思えることを思う。今の自分の感覚に従う。今の自分がやるべきことを考える。

 そのうえで、光市母子殺害事件について、ひとつだけ思うことを書く。生後11ヵ月の夕夏ちゃんの頭を、元少年が床に叩きつけたとの事実をめぐる認定だ。

 死刑が確定したその夜や翌日のメディアのほとんどは事件を説明する際に、この経緯を既成事実のように伝えていた。

 確かに無期を宣告した一審・二審では、「幼児を頭上から思いきり床に叩きつけた」などと事実認定がなされている。生後11ヵ月の幼児の頭を思いきり床に叩きつけるなどまともな人間のやることじゃないと誰かが思う。もしも殺意がないのならこれほどに残虐なことができるはずがないと誰かも思う。

 こうして元少年は生きるに値しない鬼畜であり、更生などありえないとの世相が喚起される。

 でも当時作成された夕夏ちゃんの遺体鑑定書には、実のところ「頭部に損傷無し」と記述されている。生後11ヵ月の幼児が仰向けに頭部を叩きつけられていたのなら当然生じるはずの頭蓋骨骨折や硬膜上下腔血腫、クモ膜下出血などの痕跡はなく、脳の割面浮腫や出血、損傷もまったくないことが認められた。つまり「頭上から思い切り叩きつけた」は、検察が作り上げた虚偽の事実なのだ。

殺意や計画性はこうして作られる

 差し戻し審弁護団からこの事実を突きつけられた広島高裁は(一審・二審の弁護団は事実認定をまったく争わなかった)、最終的には判決文に「被害児を後頭部から仰向けに思い切り叩きつけたとする旨の供述部分は信用できない」と、検察官調書を否定する記述を載せた。

 ただしその後には、「被告人が、身を屈めたり、上記犯行再現のように床に膝をついて中腰の格好になった状態で、同児を床に叩きつけたと推認するのが合理的である」と続いている。つまり押入れ上段から引きずり出した夕夏ちゃんを、床に膝をついて中腰の格好で叩きつけたならば、勢いがないから大きな損傷がないこともありえるという理屈らしい。