社会のリーダーとしての“プロの倫理”とは<br />知りながら害をなさないことダイヤモンド社刊
2520円(税込)

「企業倫理や企業人の倫理については、数え切れないほど説かれてきた。だが、それらのほとんどは、なんら企業と関係がなく、倫理ともほとんど関係がない」(ドラッカー名著集(13)『マネジメント―課題、責任、実践』[上])

 企業倫理に関係がないにもかかわらず、企業倫理として説かれてきたことの典型が、企業人たる者、悪いことは、してはならないだった。企業人は、ごまかしたり、嘘をついたりしてはならない。しかし、これは、企業人ならずとも、してはならないことである。

 社長になったら人間でなくなるわけではない。社長になるまでは悪いことをしてもよいというわけでもない。悪いことをしたら罰せられるだけである。

 企業倫理に関係がないにもかかわらず、企業倫理として説かれてきたことのもう一つが、企業人たる者、紳士淑女として恥ずかしい仕事の仕方をしてはならないということだった。

 ドラッカーは、顧客をもてなすために恥ずかしい接待の仕方をすることは、美意識の問題だという。翌朝、鏡の前に立ったとき、そこにいかなる自分を見たいか。

 最近、これら2つの問題にもう一つテーマが加えられた。地域社会において、積極的かつ建設的な役割を果たすことが企業人の倫理だという。だが、ドラッカーは、その種の活動は強制されるべきものではないという。その種の活動を命じ、圧力をかけることは、組織の力の濫用である。

 マネジメント層の人間に特有の倫理とは、彼らが社会においてリーダー的な地位にあることから生ずる。リーダー的な地位にあるということは、プロフェッショナルだということである。そこで、プロに要求される倫理が、古代ギリシャの哲人で医学者のヒポクラテスが教えた医師のための誓い、「知りながら害をなすな」である。

「医師、弁護士、組織のマネジメントのいずれであろうと、顧客に対し、必ずよい結果をもたらすと保証することはできない。最善を尽くすことしかできない。しかし、知りながら害をなすことはしないとの約束はしなければならない。顧客となる者は、プロたるものは、知りながら害をなすことはないと信じられなければならない。これを信じられなければ何も信じられない」(『マネジメント』[上])

週刊ダイヤモンド