しかし、蓋を開けてみると実情は異なるものであった。確かに、マルクス・レーニン主義は全校必修科目として、毛沢東思想と鄧小平理論は学部必修科目として“君臨”していた。ただ、幼いころからこういう政治思想教育を繰り返し受けてきた中国人クラスメートたちの多くは“もううんざり”という類の表情で授業に出ていた。さぼる学生も少なくなかった。真剣に授業を聞いていた学生は筆者の主観的観察で2割に満たなかった。試験と成績さえ確実に通過できればいいというスタンスを持ち、そこから何か知的な刺激を求めるとか、智慧を育もうという雰囲気では決してなかった。

 それに比べて、米国や日本の政治・外交、国際法、国際組織、北東アジアの国際関係、国際政治経済といった授業には彼らも関心や積極性を見せ、先生たちも学生に西側の著書や論文に当たることを大いに勧めていた。

 そこには、英語で論文を熟読し、西側の政治・国際関係理論に精通しなければ国際関係を学んだことにはならないといった学風すら存在していたように思う。リベラルか保守的かを含め、中国人学生の考え方や価値観も十人十色であり、授業で日中関係を議論する際、敏感な歴史問題などに話が及んでも、中国の行き過ぎた愛国教育や反日感情に異を唱え、健全な愛国心や国家観を持つべきだと呼びかけるクラスメートもたくさんいた。

 総じていま振り返れば、“共産中国”の政治体制やイデオロギーに触れつつ、改革開放の真っ只中にある“当代中国”の国情や勢いを感じつつ、西側の理論や学説を交えた国際関係・国際政治を学ぶ機会に出合ったのが筆者にとっての北京大学時代であった。

 だからこそ、筆者は北京大学が中国の改革開放や現代化プロセスにどう関与していくのかに関心を持ち、動向を注視している。

 上記で述べた理由から、政治の自由化や民主化は望めないにしても、中国がより多元的で開放的な政治・経済社会になるように、少なくともキャンパス内では「“愛国、進歩、民主、科学”の優良な伝統と“思想自由、兼容並包”の学術精神を終始固く守り、天下の先たるを恐れず、何ものをも恐れない反省と批判の精神を以て、自らを奮い立たせ、鍛錬し、困難を恐れず前に進み続けること」(北京大学創立120周年記念式典における林建華学長の挨拶)を通じて、キャンパスを超えた思想の進歩や市民の啓蒙に確固たる貢献をしていくことが北京大学にとって世紀の使命であると考えている。