世界卓球「銀メダル」!大躍進の礎を築いた「20世紀を代表する日本人スポーツマン」とは?城島 充(じょうじま みつる)
関西大学文学部卒業。産経新聞社会部記者時代に連載企画『失われた命』でアップジョン医学記事賞、『武蔵野のローレライ』でNumberスポーツノンフィクション新人賞を受賞。現在はフリーランスとしてさまざまなジャンルで執筆活動を続けている。主な著書に『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『ピンポンさん』(角川文庫)。児童書に『にいちゃんのランドセル』『がんばれピンポンガールズ!平野美宇と伊藤美誠』(いずれも講談社)など。(写真/森清)

 自身が指導する卓球クラブ「青卓会」に所属する中学生や高校生たちを全中やインターハイの予選に出場させなかったのです。「君たちが目指すのは、日本の中学や高校のチャンピオンじゃないだろう」と。

 荻村さんは拠点にしていた東京・吉祥寺の武蔵野卓球場に、世界各地からいろんな選手を招きました。彼らと一緒に練習するのですから、子どもたちは自然と世界を意識します。1971年の世界選手権名古屋大会の直前には、スウェーデン代表のステラン・ベンクソンを招き、その練習パートナーに青卓会で練習する2人の中学生を抜擢しました。

 前回大会で優勝した日本の伊藤繁雄選手を攻略する戦術をベンクソンに授けたのですが、中学生がその練習台を務めたのです。その結果、当時まだ19歳だったベンクソンは、決勝で伊藤選手を破り、スウェーデン初の世界チャンピオンに輝きました。練習パートナーを務めた中学生は、無名のホープが世界の頂点に登り詰めていく過程を最も身近に感じることができたのです。

小学生時代から英才教育を継続する「選手育成システム」

 強化システムについて、荻村さんが積極的に関わったのが「幼少期からのランキング制導入」です。

 全日本卓球選手権大会は現在、「バンビの部(小学2年生以下)」「カブの部(小学4年生以下)」「ホープスの部(小学6年生以下)」「カデットの部(中学2年生以下)」「ジュニアの部(高校生以下)」「一般」「マスターズの部(30歳以上)」といった年代別に分かれています。

 このうち、小学生以下の大会である「バンビ」「カブ」「ホープス」は、1981年以降に新設・整備されたものです。そして、小学生の段階から日本一の座を争い、ランキング制を導入するという構想は、荻村さんを中心として練られました。

 子どものころからランキングを明確に決めることで、卓球選手全体のレベルが裾野から高まっていきます。ランキング上位の才能を選抜して英才教育をすれば日本卓球を強化することができる、と考えたわけです。「国内で勝つための国内競争」ではない。「世界で勝つための国内競争」です。

 この仕組みのなかから生まれたのが、当時まだ「泣き虫愛ちゃん」と呼ばれていた時代の福原愛選手です。