ところが98年になると、国務院は「進一歩深化城鎮住房制度改革加快的通知」という制度改革を打ち出し、この実物支給を打ち切ってしまう。

 そして、翌99年には「低家賃住宅管理法」が発表された。これは政府と国営企業が社会保障を提供するもので、都市部を中心とした最低所得者層への住宅対策だったが、結果としてこの政策自体が隅に追いやられてしまう形になった。

 なぜなら、堰を切ったように始まる分譲住宅の流通と購入ブームで、たちまち住宅バブルに火がついてしまったためだ。市民の目は毎年倍々ゲームでつり上がる価格に釘付けとなる。

「今買わなければ一生買えないのでは…」という消費者心理をデベロッパーが手玉にとり、消費者は“住宅購入狂想曲”にまんまと乗せられて行ってしまうのだった。

 さて、日本を振り返るとどうだろうか。

 日本の高度成長期には、住宅の住み替えにおいていくつかのステップが存在した。所得の増加に応じて、木賃アパートから、公社や公団の賃貸集合住宅(団地)へ、その後に分譲マンション、最終的には郊外の一戸建てというように、段階を経ての時流があった。

 制度としても、昭和20年以降、まずは低家賃住宅の普及として公営住宅建設を始め、昭和25年には長期低利資金の融資を可能にする「住宅金融公庫法」を公布する。先に「住宅を保障」し、後から「私有財産を持たせる」というシナリオだ。

“私有財産”に目を奪われ…
政策の失敗との声も

 一方で、上海の過去十数年を振り返れば、国も個人も「財産の私有」に目を奪われ、肝心な衣食住の「住」の保障は後回しにされてしまったきらいがある。

 改革開放そのものの性質が「財産の私有」にあったからである。