むろん、親は否定していても、かなり虐待が疑わしい場合もある。

「児相(児童相談所)から『虐待が疑われるが、決めかねている』との理由で持ち込まれた案件でした。最初に診察した小児科医のカルテには、『急性硬膜下血腫』と記載されており、頭を強く打ったとみられましたが、体にあざはなく、親は虐待を否定していました。

 レントゲンとCTを見るとと腕の骨が折れており、肋骨の骨折が治った形跡も見つかりました。そこで乳児はかなり以前から暴行を受けていたのではと診断し、保護するよう促しました」

 冤罪を防ぐのと虐待死を防ぐのと、臨床法医学には2つの役割があり、その診断は、臨床医には難しい。

「虐待死を防ぐためには、硬膜下血腫があるだけでも疑って、お子さんを保護することは大事です。しかし同じ調子で、親を責めて刑事責任まで問うと冤罪だらけになる可能性がある。そこは思い込みを排除して、謙虚に、科学的に、見極めていかなければなりません。目の前の患者さんのためだけでは務まらない」

交通事故の相手が鞭打ち症
安易な診断で刑事罰の危機

 子どもの虐待死も冤罪も、あってはならないとは思っても、「正直、他人事でしかない」人もいるに違いない。ならば、次のような場面ではどうだろう。

「例えば交通事故があったとします。通常、臨床医は、自分の診断が関係者の人生にどのような影響を及ぼすかなんて、あまり考えません。

 交通事故で追突されたという患者さんが来ると、『むち打ち損傷』などと診断し、コルセットを与えて、『1ヵ月ぐらい通ってください』と言うことがありますが、追突したとされる相手は、下手すると、『自動車運転過失傷害』という罪になる。安易な診断は、無実の人に罪をかぶせることになるのに、その辺のことはあまり考慮されていない。

 実際、追突事故によるむち打ち症のほとんどが、もしかしたら、実在していないのではないかという説もあるほどです」

 ヨーロッパでは、患者の訴える症状が、本当にその事故によるものなのか、本当に首に異常があるのかどうかなど、事故の内容や程度に鑑みて、法医が診断するという。