究極の行動力「出家」に見る
寂聴さんの執念の「動」
そして行動力の究極が「出家」です。
寂聴さん51歳の時。出家といえば仏門に入ること、すなわち、世俗との関係を断つことを意味します。
なぜ、出家したのでしょうか?
寂聴さん池上彰さんとの共著、『95歳まで生きるのは幸せですか?』でこう語っています。
「それまでの自分をいったんリセットして、新しい自分に生まれ変わるためです」
「出家というのは、家出と違い、生きながらにして、いったん死ぬことなのです」
「家庭を壊し、いろいろな人を傷つけてしまったことを振り返ると、いくら小説が高く評価されても、そこに虚しさを感じてしまったのです」
出家してからの寂聴さんは、だんだんと「愛」の範囲を広げていきました。
たとえば、自ら住職となり、天台寺(岩手県二戸市浄法寺町)の再興を引き受けたのは1987年のこと。
当時、さみしかったお寺も、現在では寂聴さんの説法の日に毎回3000~4000人もの人が訪れるほどの盛況ぶり。
つまり、寂聴さんの話で救われる人がこんなにもいる、ということなのです。
寂聴さんの現在の住まい、京都・嵯峨野にある「寂庵」でも、定期的に説法が行われていますが、ここでも毎回“満員御礼”。
説法で、小説で、雑誌で、新聞で、テレビで、寂聴さんがこれまでどれほどの人を救ってきたか、想像もできませんが、限りなく多くの人であるのは間違いないでしょう。
そして説法のほかにも多々、社会的な活動をしています。
・阪神淡路大震災被災地への見舞い訪問
・東日本大震災被災地への見舞い訪問
・湾岸戦争(1991年)の停戦を祈っての断食
・同じくイラクへの救済カンパ活動と薬など寄付品をもっての訪問
・「脱原発」活動への応援活動
時には、病気で寝たきりの時期が長くまだ完治していない、思うように体が動かないときでも、寂聴さんはある決意をもって行動を起こしています。
瀬尾まなほ著『おちゃめに100歳!寂聴さん』で寂聴さんは、こう語っています。
「私の人生、いままですべて自分の意志で何もかもしてきたのに、今回だけ何もしないなんておかしいじゃない。いまの歳(当時93歳)でも、自分がやろうと思えば何だってできるのよ」
執念ともいえる寂聴さんのこれらの【動】は、社会正義を守る強い意志、核心を見抜く洞察力、やりすぎるくらいやり抜く強い使命感の表れ。まさに、「天の六白」の気質そのものです。