つまり、アイスランドという国は、単純にどこかで生まれた新しい技術を導入して持続させることが、地理的・人口的な制約があって難しい。そのことは、先人たちが何度も挑戦しながら適わなかったという歴史も証明している。だからこそ、教育を通してその国の未来を担う子供たちに、実践的な形で自分たちの環境を理解し、解決する力を培ってもらおうとしているのである。

 アイスランドの教育者であるヨンスドッティルは、この教育の素地となった教材が包括する内容について次のように述べている。

「人は自然や文化といった資源の力を借りながら、どうやってより安全で快適に生活していくことができるのか。教材を通し、強調されているのは、この教育を受ける子供たちの、自分を含む人や自然に対して持続可能性と責任の倫理観を育むことだ」

アイスランド人も忘れていた過去の教訓

 振り返れば、金融バブルもまた、同じ原理だったのかもしれない。世界でまことしやかに言われた「金融イノベーション」に乗り、そしてその幻影が崩れると真っ先に窮地に陥った。

 2008年10月以降、レイキャビク市内に展開していたアパレルやファーストフードなど、多くのグローバル企業が次々と撤退した。若者が集まる目抜き通りであるロイガベーグル通りを埋め尽くしていた店は軒並み倒産し、「貸店舗」という看板の文字が並んだ。

 そんな時、立ち上がったのはアイスランドでクリエイティブと呼ばれる職業についていた、主に20~30代の若者たちだ。そもそもアイスランドには、長い間デザインを学べる機関が国内に存在しなかった。そのため、確固としたコミュニティもなく、彼らはそれぞれ国内外で好き勝手に活動していた。

 しかし、金融危機を経て、彼らはお金がない今だからこそできることは何かと考え始めた。ファッションデザイナーやプロダクトデザイナー、建築バブルで忙しかった建築家やインテリアデザイナーもいた。彼らは、ロイガベーグル通りに店舗を持つ家主30人に掛け合い、自分たちの造ったものを持ち出して売るポップアップショップを開催し、通りを一気に活気づけた。店舗によっては家主に請われ、予定されていた開店期間を延長した。その様子は、今もアイスランドデザインセンターのホームページから垣間見ることができる。