当時、ヨーロッパに向かう飛行機は十数時間にも及ぶ長旅で、それに耐えるために映画を見たりして時間を潰していた。しかし、中国語で放映する映画はなく、中国語字幕のものはほとんどなかった。その代わり、日本語字幕の映画が結構あったので、それを見て機内での窮屈さと孤独を凌いでいた。当時、多くの日本人が海外旅行に出掛けており、「日本はすごいなあ」と感心していたものだった。

 日本は1964年4月1日から観光目的の海外渡航が自由化された。イタリア、フランス、デンマークなどを周遊するため、男女16人の日本人が「自由化第1陣」として羽田空港を飛び立った。彼らは、やがて怒涛のように海外旅行に出掛けていく日本人の先陣となった。

 ダイヤモンド社が発行していた「地球の歩き方」などのガイドブックは、まさに世界を見つめ始める日本人の心意気を活写したベストセラーであったと同時に、地球を歩く日本人を支える海外旅行の“情報インフラ”ともなっていた。中国人の私は、そんな情報インフラを持つ日本と日本人をうらやましく思っていた。同時に、日本語を勉強しておいてよかったなとつくづく思っていた。

 やがて、情報インフラのさらなる構築と改善の作業に、執筆や取材協力といった形で積極的にかかわるようになり、「莫邦富事務所」という名前でガイドブックの企画や執筆も喜んで引き受けた。

中国語字幕の映画が
日本語字幕のものと同程度に

 初めてヨーロッパを訪問してから、あっという間に二十数年の歳月が過ぎ去った。改めてヨーロッパ便の乗客になったとき、さまざまな変化を新鮮な目で確認することができた。

 まず、機内で放映されている映画について、中国語字幕、または中国語版の映画が日本語版のそれらと変わらない本数になっていたことにすぐ気づいた。ただ、残念に思ったこともある。映画としての魅力は、日中両国の作品ともにハリウッド映画には遠く及んでいなかった。往路に機内で見た4作品は、全部ハリウッド映画だった。復路では映画を1本しか見なかったが、それもハリウッド映画だった。その際、「中国と日本の映画人にもっと頑張ってもらわなければ」と思った。