スバル社の歴史を
振り返る

 スバルは昨年、創立100周年を迎えた老舗の自動車メーカー。昨年4月の創立100周年を機に富士重工業から「SUBARU」に社名変更した。過去、長きに渡った日産との資本提携からルノー日産連合に切り替わったことで資本提携先を米GMに求めたのが2000年代初めのことだ。だが、環境問題により、消費者が燃費のいいコンパクトカーなどに移行しつつある中、GMは潮流に逆行した車に注力したことで業績不振に陥り、さらにリーマンショックの影響により米国政府の管理下に置かれたこともあって、GMとの提携先を解消。トヨタと資本提携を結び、トヨタグループ入りした経緯がある。
 
 1958年に発表した「スバル360」は今日の軽自動車の先駆けとなった。当時「てんとう虫」の愛称で呼ばれて大ヒットして以来、今でも懐かしまれる名車を世に出している。また、独自の水平対向エンジンや4WDの技術の伝統があり、スバル車ファンは「スバリスト」と呼ばれるほど根強いものがある。

 吉永前体制では、「集中と選択」経営戦略を敢行、北米戦略を重視すると、ブランド力を向上させることに成功した。結果として北米では「スバル車は売れ過ぎてタマが足りない状況が続いた」(吉永前社長)ほどで、1台当たりの収益も大幅に向上した。「米国一本足打法」と揶揄されながらもスバル躍進の原動力となったのである。

世界最大の中国市場を
どう開拓するか

 ところが今回、検査の問題や燃費、排出ガスのデータの不正問題で企業風土に起因する課題が顕在化したことで、「自社の急成長に伴う歪み」と「質的成長とのアンマッチ」の対応が喫緊の課題となった。企業風土改革と品質向上のため、工場の設備投資や品質管理に欠かせない人員の確保により、5年間で1500億円もの投資をすることになったのである。

 一方で100年に1度と言われるモビリティ社会の大変革時代への対応が求められる中で、今回の新中期経営ビジョンは「時代変革への備えとし、質的成長のキャッチアップと着実なペースでの量的成長」を掲げ、次の2030年ビジョンに結びつけるものである。

 中村体制は、社内改革という課題を抱えながらのスタート。モビリティ社会の大変革時代を乗り越えるための打開策が中村社長に求められている。

 グローバル戦略を見ると北米偏重である。世界最大の市場となった中国の現地生産に関しては出遅れ感が否めない。さらに先述したように、アジア・ロシア・豪州での販売網について2018年度の110万台から2025年度には130万台に拡大する目標を掲げている。米国駐在経験を活かし、スバルの個性・ブランド力をアジアでどう浸透させ高収益につなげていくのか、中村社長は生き残り策を模索することになるだろう。

(佃モビリティ総研代表 佃 義夫)