では、基本計画で原発の新設を記述できなかったのはなぜか。もちろん、住民の反対が根強いことがあるが、それだけではない。

 基本計画は、原発を「運転コストが低廉で変動も少なく、運転時には温室効果ガスの排出もないことから、安全性の確保を大前提に、長期的なエネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源である」と述べている。

 ここで注意が必要なのは原発のコストに関して「運転コスト」に記述が限定されている点だ。

 福島第1原発事故以降、原発の新設コストは、世界では少なくとも1基1兆円を上回るようになっているのに、これまで日本では同4400億円としてきた。いま や倍以上の差がある。

 原発の新設を口にしたとたん、原発の発電コストが他のエネルギーより高いことが表面化してしまうからだ。

 このことは、この間、経産省・資源エネルギー庁が進めてきた原発輸出がことごとく失敗している事実について一言も触れていないことと裏表だ。

 世界で原発は「ベースロード電源」どころか過去のエネルギーになりつつある現実を認めたくないからだろう。

やめるにやめられない
核燃料サイクル事業

 コストのことでは、さらに隠された「不都合な真実」がある。

 原発はよく「トイレのないマンション」にたとえられるが、基本計画における核燃料サイクルのうそは放置できないところまできている。

 これまで使用済み核燃料を再処理しリサイクルする核燃料政策は事実上、破綻したまま、再処理はイギリス・フランスに依存してきた。そのため、日本が国内外に抱えるプルトニウムの量は原爆6000発分の約47トンに増えてしまった。

 そのことがアメリカから核不拡散という点から問題視された。本来なら核燃料サイクル政策の失敗を認め、政策を断念すべきなのだ。

 ところが、基本計画は「保有量の削減に取り組む」とし、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを再利用する核燃料サイクルを「推進」する方針を継続した。

 だが、問題はプルトニウムの量だけではない。核燃料サイクル政策には膨大な税金や電気料金がつぎ込まれてきた。それは原発コストに含まれていない。この史上最大規模の“無駄遣い”のお金で、本来ならどれ だけの人間が救われたかを考えるべきだ。