「保育に欠けるもの」の実情を示す
高校生、妻、母親の3役を兼ねる映画

 では、「保育に欠けるもの」とは一体、どんな家庭だったのでしょうか。それを考える一助として、1970年製作の『おさな妻』を挙げます。

 主役の黛玲子を演じるのは、関根恵子(現・高橋恵子)。映画は冒頭、母・文子(坪内ミキ子)が亡くなる場面から始まります。元々、母子世帯だったので、母と住む家を同時に失った玲子は一時、洋装店を営む叔母の家に預けられますが、居候の身は肩身が狭く、子どもの頃に通っていた保育所でアルバイトを始めます。

 そこで、娘のまゆみ(佐藤久里子)を保育所に預けている建築家の吉川(新克利)と知り合い、吉川と玲子は結婚。玲子は高校生、妻、母親の3役を兼ねることになり、お色気シーンも途中で出てくる少し変わった映画です。

 ここでも登場するのは保育所です。吉川は妻を失い、まゆみを独りで育てており、玲子の場合も父を早く亡くした関係で、文子が働きつつ育てた設定になっています。つまり、玲子、まゆみともに片方の親しかいなかったことになります。

 これがまさに「保育に欠けるもの」です。厚生省は当時、その基準として「母親のいない世帯」「母親の出産」「家庭の災害」などを示しており、これらを満たした家庭を市町村が認定し、保育所への入所措置を決定していました(汐見稔幸ほか『日本の保育の歴史』)。

 さらに、映画では高校生、妻、母を兼ねることになった玲子が結婚後も、まゆみを保育所に迎えに行っています。なかなか今でもなさそうな設定ですが、育児と学業を両立させなければならない母親を持つ吉川家は、「保育に欠けるもの」と見なされたのかもしれません。

 裏を返していうと、保育に欠けないものは家族で対応する、さらにいえば家族だけで育てられる子どもは「保育を欠いていない状態」であり、子育て支援策の対象にならなかったというわけです。

 この考え方は、保育所の制度にも反映されていました。例えば、公私両面で待機児童問題に奔走している経済学者の書籍では、保育所の利用申し込みを拒否されたとき、自治体から送られてきた手紙が「保育所入所不承諾通知書」という屈辱的な名前だったと振り返っています(鈴木亘『経済学者、待機児童ゼロに挑む』)。今は「保育所入所保留通知書」に変わりましたが、「不承諾」とはいかにも上から目線ですし、行政が「保育に欠けるもの」に施しを与えていたといえるかもしれません。