日本初の教師育成専門の“株式会社大学院”として2006年に設立された日本教育大学院大学。開校から7年目を迎えたこの学校で学長を務めるのが、ハーバード大学大学院(ビジネススクール)でMBAを取得するなどの経歴を持つ熊平美香さんだ。まだ女性の社会進出が進んでいなかった1989年にMBA取得のために海を渡った熊平さん。現在は次世代のリーダーを育てる先生の育成に奔走しているが、20年以上前から海外の教育に触れてきた中で、日本の教育は今後どう変わるべきだと考えているのか。前編は、海外の大学や大学院を受験する際に必要なエッセイ(進学希望者に課される小論文)を例に、日本の教育の問題点について考える。
斜陽の金庫ビジネスを救うため!?
MBAブーム直前の80年代に留学
石黒 熊平さんは1989年にハーバード大学大学院でMBAを取得されたご経歴をお持ちなんですね。ビジネススクールがそれほど盛んでなかった時期に、女性としてハーバードを目指されるというのはさぞかし困難が伴ったのではと想像いたします。どんな経緯で、MBAを取得しようと思われたんですか?
Photo by Toshiaki Usami
熊平 私の実家は銀行の金庫を作る会社を経営していまして、大学卒業後、そこで仕事をしていました。入社してから社員のみんなが社内にいろいろ課題があると教えてくれて、課題点をメモに残していました。私は、もともと「問題解決」が大好きだったのですが、1~2年経った頃、みんなが言う課題は同じであることに気づき、問題の本質が何かを理解することができました。
そうなると、次にやるべきことは解決なのですが、周りに解決策を聞いて回っても誰も考えておらず、結局、私の期待するような解決策は出てきませんでした。それで、ここにいても何も教えてもらえない、と自分が成長する限界を感じました。しかも電子マネーの時代を迎えるにあたって、業界自体が斜陽に向かっていましたので、ビジネススクールに行くことを決めました。
石黒 それでビジネススクールに…。合否を決めるのは、エッセイだから、でも、その状態でエッセイを書くって大変じゃないですか。
熊平 大変でした!全然、書けないんです。
石黒 解決する方法は会社ではないにせよ、日本では学べないと思われたのですか?
熊平 私が行ったのはMBAがブームになる前で、よくビジネススクールのことを知らないで行きました(笑)。石黒さんはどうでした?
石黒 私自身が留学したのは、ブームの少し後だったと思います。熊平さんがご卒業されるときくらいがピークだったかもしれませんね。